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創世記43:11~15「失うときには失うのだ」

2022年1月16日、創世記43:11~15「失うときには失うのだ」
ヤコブは息子たちを再びエジプトに送り出すにあたり、息子たちの上に「全能の神」の御守りを祈りました。かつて兄エサウから長子の権利を騙し取ったことで憎まれ、家を離れざるを得なかったヤコブに、父イサクは「全能の神がおまえを祝福し…」(28:3)と全能の神によって祝福して送り出し、全能の神はベテルで「わたしはあなたとともにいて…あなたを守り…決してあなたを捨てない」(28:15)と語りかけられました。約束どおり全能の神に守り支えられて今の自分があることを思い起こしたはずです。そして全能の神は、きっとエジプトの総理大臣にも働きかけて息子たちを「あわれんでくださる」に違いないが、「私も、息子を失うときには失うのだ」と全能の神に信頼して委ねました。エステルは自分自身を投げ出すことでユダヤ人を虐殺から救い(エステル記4:16)、ヤコブはベニヤミンを手放すことで最愛の息子ヨセフと再会し、イスラエル民族を飢饉から救いました。
「失うときには失うの」は、いのちや家族、所有物もそうです。大震災がこの地を襲うと誰が予想したでしょう。目に見えるものはいつか必ず過ぎ去りますが、「わたしのことばは決して消え去ることがありません」(マタイ24:35)、「神のみこころを行う者は永遠に生き続けます」(Ⅰヨハネ2:17)。神の御言葉とイエスを信じる者は永遠に残ります。それゆえ、「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」(Ⅱコリント4:18)。いずれ失うものに心を支配されることなく、永遠に続くものにしっかり焦点を合わせて歩み続けましょう。

ローマ人への手紙3:1~8「神の真実」

2022年1月9日、ローマ人への手紙3:1~8「神の真実」
①赦罪における神の真実(Ⅰヨハネ1:9)
この世では謝罪に行っても門前払いされることがありますが、神は違います。罪を悔い改めてイエスの十字架を信じるなら、どんな罪でも赦すと「真実で正しい」神ご自身が約束されているとおりです。
②交わりにおける神の真実(Ⅰコリント1:9)
この世では表面的には和解しても、心の中では憎み続け、以前のような関係には戻りにくいことがありますが、神は違います。放蕩息子を大喜びで迎え入れた父親のように(ルカ15:11~24)、神は私たちを赦し、何事もなかったかのように交わりの中に入れてくださるのです。
③試練における神の真実(Ⅰコリント10:13)
私たちの人生に試練は付き物ですが、神の真実は私たちの力を越えた試練を与えるようなことは決してなさらないばかりか、試練の中にいる私たちを支え、その試練を耐え忍び、乗り越えられるよう強めてくださいます。私たちが今あるのは、この神の真実のゆえです。
④完成における神の真実(Ⅰテサロニケ5:23~24)
私たちの救いの完成の日である「主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして」、いつでも恐れなく神の前に立つことができるよう、天国に迎え入れていただけるよう、神の真実は私たちの「霊、たましい、からだのすべて」を守ってくださいます。
アブラハムは「約束実現の可能性を信じたのでなく、約束してくださったお方を信じた」(リジョイス)。「その時々の状況に基づくものが楽観主義、状況に左右されない神のご真実に根差すものが希望」(デイリーブレッド)。

詩篇138:1~8「あなたに感謝します」

2022年1月2日、詩篇138:1~8「あなたに感謝します」
詩人が「感謝…感謝…感謝」と三度も繰り返すのは、「御名のゆえに…みことばを高く上げられ」、「神様は、御自身の名誉にかけても、お約束は守られる」(リビングバイブル)ことを体験したからです。神が一度約束なさったことは、必ず実現成就するのです(イザヤ書55:11)。
「私が呼んだその日に あなたは私に答え 私のたましいに力を与えて強くされ」たからです。試練や困難の尽きない私たちに最も必要なことは、祈れば答えてくださる神とつながっていることです。確かに神は「高くあられ」るお方ですが、同時に「低い者を顧みてくださ」るお方。天の栄光を捨てて地に降誕された御子イエスは、罪人や病人の友となられ、神が「低い者を顧み」られるお方であることを実際にお見せになりました。パウロが弱さに打ちひしがれて祈り続けていると、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12:9)との答えがあり、以来パウロは、自分の弱さを受け入れ、神の全能の力に依り頼むようになり、その働きはこれまで以上に豊かに実を結んでいきました。
「主は私のためにすべてを成し遂げてくださ(完成する、の意)」」るからです。神は、神を信じて生きるあなたのために最善のご計画を持っておられます。神が始められた救いのご計画は、中途半端のまま放置されるようなことなど絶対にありません。それなのに、思い通りにならないと、すぐ「~してくれない」とつぶやく「くれない族」になっていないでしょうか。「主は私のためにすべてを成し遂げてくださ」ることを信じて、神に感謝しながら約束実現を待ち望みましょう。

詩篇138:1~8「あなたに感謝します」

2022年1月2日、詩篇138:1~8「あなたに感謝します」
詩人が「感謝…感謝…感謝」と三度も繰り返すのは、「御名のゆえに…みことばを高く上げられ」、「神様は、御自身の名誉にかけても、お約束は守られる」(リビングバイブル)ことを体験したからです。神が一度約束なさったことは、必ず実現成就するのです(イザヤ書55:11)。
「私が呼んだその日に あなたは私に答え 私のたましいに力を与えて強くされ」たからです。試練や困難の尽きない私たちに最も必要なことは、祈れば答えてくださる神とつながっていることです。確かに神は「高くあられ」るお方ですが、同時に「低い者を顧みてくださ」るお方。天の栄光を捨てて地に降誕された御子イエスは、罪人や病人の友となられ、神が「低い者を顧み」られるお方であることを実際にお見せになりました。パウロが弱さに打ちひしがれて祈り続けていると、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12:9)との答えがあり、以来パウロは、自分の弱さを受け入れ、神の全能の力に依り頼むようになり、その働きはこれまで以上に豊かに実を結んでいきました。
「主は私のためにすべてを成し遂げてくださ(完成する、の意)」」るからです。神は、神を信じて生きるあなたのために最善のご計画を持っておられます。神が始められた救いのご計画は、中途半端のまま放置されるようなことなど絶対にありません。それなのに、思い通りにならないと、すぐ「~してくれない」とつぶやく「くれない族」になっていないでしょうか。「主は私のためにすべてを成し遂げてくださ」ることを信じて、神に感謝しながら約束実現を待ち望みましょう。

「学校行きたくない」「死にたい」と思い悩んでいる方へ

★「学校行きたくない」「死にたい」「もう自分は死ぬしかない」「自分は死んだほうがいいんだ」と思い悩んでいる方、
誰にも相談できず、ひとりで悩んでいる方へ★

あなたは決してひとりではありません。
あなたの周りにはあなたの助けになる人がきっといます。
ためらわないで助けを求めてください。
まずは電話かメールでご連絡ください。

今から数年前にホームレスのおじさんたちが先生役になって、小学生に教えるというセミナーを開きました。(中略)最後の授業は、元野宿のおじさんが「子どもたちに語る」というコーナーでした。(中略)子どもたちに、そのおじさんはこう語りかけました。「おじさんはさぁ、自分で頑張るしかないって60年生きてきたけど、この世の中には助けてくれる人がいたんだ。『助けて』と言えた日が助かった日だったよ」と言ったのです。そうしたら、聞いていた子どもたちの何人かが涙を流しているのです。私は司会だったので、「きみたちも学校でつらいことがある。家でつらいことがある、そんなときは『助けて!』と叫んだらいいんだ。たしかに世の中には、『助けて』と言ったら、『何を甘えているんだ』と言う人もいるよ。でも、『うちにおいで』と言ってくれる人が必ずいるから、『助けて!』って言いなさい」と言ったら、涙をバーっと流している子どもたちが何人もいました。…奥田知志他著『灯を輝かし、闇を照らす』より


サムエル記第一7:5~12「ここまで主が助けてくださった」

2021年12月26日、サムエル記第一7:5~12「ここまで主が助けてくださった」
ペリシテに大敗して奪われた神の箱が「キルヤテ・エアリム」に返されて「二十年…イスラエルの全家は主を慕い求め」、サムエルの呼びかけに応えてミツパに集まって罪を悔い改めました。イスラエルの大集合を聞いたペリシテが、戦争の決起集会と誤解して攻撃してきました。以前は主の契約の箱を担ぎ出しさえすれば何とかなると安易に考えていた民が(4:3)、今回はサムエルに「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください」と祈りを要請し、祈りによる勝利を確信し、主もその祈りに答えてペリシテを「打ち負かされ」ました。その勝利を記念して「サムエルは一つの石を取り…エベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った」。
私たちの生涯にも、このような記念碑が節目節目に立てられてきたことでしょう。「アドナイ・イルエ…主の山には備えがある」(創世記22:14)。主は最善の「備え」をして私たちの人生を導いてきてくださいました。「インマヌエル…神が私たちとともにおられる」(イザヤ書7:14、マタイ1:23)。「水の中…川…火の中」を行くような試練の真っ只中でも(イザヤ書43:2)、天地万物を創造し支配しておられる神は「世の終わりまで、いつも…ともに」いてくださいました(マタイ28:20)。「エベン・エゼル…ここまで主が私たちを助けてくださった」。共にいてくださる神は、私たちを実際に助けてくださいました。苦境に立つとき、私たちは決してひとりではありません。神が味方となって具体的に助けてくださいます(イザヤ書41:10~14、詩篇46:1)。「ここまで…助けてくださった」主は、これからも助けてくださいますから、心配無用です。

マタイの福音書2:1~12「新しい道が開かれるクリスマス」

2021年12月19日、マタイの福音書2:1~12「新しい道が開かれるクリスマス」
今までにない星が夜空に輝くのを見た「博士たち(新共同訳「占星術の学者たち」)」は、救い主誕生のしるしと確信し、千㎞以上もの長旅の末にユダヤに到着し、救い主を「見、ひれ伏して礼拝し」、商売道具の「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げ…別の道から自分の国に帰って行」きました。地理的に別の道を通ったというだけでなく、救い主を礼拝することで新しい人生が開かれたこと、神を人生の第一価値として生きる新しい価値観に転換したことを暗示しているのでしょう。
人が真に幸いな人生を送ることができない最大の原因は、「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)、創造主なる神を第一としない的外れの罪にあり、この罪の問題を解決するために御子イエスが降誕され、十字架と復活によって救いを完成されたのです。このイエスを救い主と信じ受け入れるなら、聖書に記されている神の約束が自分のものとなります。たとえば、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ書41:10)。万事休すと思えるようなときにも、神は「あなたとともにい」て、「あなたを強くし…助け…守」ってくださいます。また、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)。すべての背後には神の愛のご計画があり、マイナスと思える体験も感謝と喜びに変えてくださいます。「なぜ私だけが」という思いに沈んでいるあなたにも、神による新しい「別の道」が備えられています。

マタイの福音書2:1~12「新しい道が開かれるクリスマス」

2021年12月19日、マタイの福音書2:1~12「新しい道が開かれるクリスマス」
今までにない星が夜空に輝くのを見た「博士たち(新共同訳「占星術の学者たち」)」は、救い主誕生のしるしと確信し、千㎞以上もの長旅の末にユダヤに到着し、救い主を「見、ひれ伏して礼拝し」、商売道具の「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げ…別の道から自分の国に帰って行」きました。地理的に別の道を通ったというだけでなく、救い主を礼拝することで新しい人生が開かれたこと、神を人生の第一価値として生きる新しい価値観に転換したことを暗示しているのでしょう。
人が真に幸いな人生を送ることができない最大の原因は、「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)、創造主なる神を第一としない的外れの罪にあり、この罪の問題を解決するために御子イエスが降誕され、十字架と復活によって救いを完成されたのです。このイエスを救い主と信じ受け入れるなら、聖書に記されている神の約束が自分のものとなります。たとえば、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ書41:10)。万事休すと思えるようなときにも、神は「あなたとともにい」て、「あなたを強くし…助け…守」ってくださいます。また、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)。すべての背後には神の愛のご計画があり、マイナスと思える体験も感謝と喜びに変えてくださいます。「なぜ私だけが」という思いに沈んでいるあなたにも、神による新しい「別の道」が備えられています。

マタイの福音書25:14~30「主人が帰って来たとき」

2021年12月12日、マタイの福音書25:14~30「主人が帰って来たとき」
①タラントの委託
主人が僕に財産を預けたように、主は各人にタラント(賜物)を託しておられます。その分量は千差万別ですが、最少の者でも一タラント(約6千万円)ですから、決して少なくはありません。主の愛のご配慮により「それぞれの能力に応じて」ちょうど良い具合に配分されているのですから、他人と比較せず、自分の賜物を感謝して受入れましょう。
②タラントの活用
五タラントと二タラントの僕は商売をして儲けを得、どちらも二倍にしました。一方、一タラントの僕は、主人への反感や不満からか、冷淡で消極的な態度で、ただ地中に隠しただけでした。結局、賜物を忠実に活用するか否かは、十字架信仰によって罪赦され、主の僕とされていることをどれだけ感謝し喜んでいるかにかかっています。
③タラントの清算
主人が帰宅すると僕たちは結果報告し、五タラントと二タラントの僕は「良い忠実なしもべ」と称賛され、一タラントの僕は「外の暗闇に追い出」されました。私たちもキリスト再臨後、決算報告書の提出を求められます。成果の大小ではなく、賜物をいかに「忠実」に活用したかで評価されます。「人と比べられると苦しい。そんな苦しみから抜け出すためには、比べることなく見つめてくださる神様の眼差しの中を生きるしかありません。神様は『恵みはあなたの上に十分だ』と仰っているのです。問題は賜物がないと決めつけているあなた自身です」(大嶋重徳師)。神の愛に応えて賜物を精一杯磨き用いましょう。

マタイの福音書25:14~30「主人が帰って来たとき」

2021年12月12日、マタイの福音書25:14~30「主人が帰って来たとき」
①タラントの委託
主人が僕に財産を預けたように、主は各人にタラント(賜物)を託しておられます。その分量は千差万別ですが、最少の者でも一タラント(約6千万円)ですから、決して少なくはありません。主の愛のご配慮により「それぞれの能力に応じて」ちょうど良い具合に配分されているのですから、他人と比較せず、自分の賜物を感謝して受入れましょう。
②タラントの活用
五タラントと二タラントの僕は商売をして儲けを得、どちらも二倍にしました。一方、一タラントの僕は、主人への反感や不満からか、冷淡で消極的な態度で、ただ地中に隠しただけでした。結局、賜物を忠実に活用するか否かは、十字架信仰によって罪赦され、主の僕とされていることをどれだけ感謝し喜んでいるかにかかっています。
③タラントの清算
主人が帰宅すると僕たちは結果報告し、五タラントと二タラントの僕は「良い忠実なしもべ」と称賛され、一タラントの僕は「外の暗闇に追い出」されました。私たちもキリスト再臨後、決算報告書の提出を求められます。成果の大小ではなく、賜物をいかに「忠実」に活用したかで評価されます。「人と比べられると苦しい。そんな苦しみから抜け出すためには、比べることなく見つめてくださる神様の眼差しの中を生きるしかありません。神様は『恵みはあなたの上に十分だ』と仰っているのです。問題は賜物がないと決めつけているあなた自身です」(大嶋重徳師)。神の愛に応えて賜物を精一杯磨き用いましょう。

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