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ルカによる福音書15:4~7「気づいて!神様の愛」

2018年7月15日、ルカによる福音書15:4~7「気づいて!神様の愛」
①失われた存在
羊飼いは一匹一匹の羊をよく知り、一匹でもいなくなると、すぐにわかりました。その一匹も、かけがえのない大切な存在だからです。同様に神は私たち一人ひとりのことをよくご存じの上で、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言って下さいます(イザヤ書43:1~4)。しかしいなくなった羊は、そのままでは毛や肉を得られないので無価値です。同様に人間も、造り主なる神から迷い出ている限り、本来もっている価値を大きく失い、「無益なものになって」いるのです(ローマ3:12)。羊は一度群れからはぐれると、近眼等のため自分から群れに帰ることはできません。同様に神から離れた人間も、どの神が真の神なのか、どこに真理があるのかまるでわからず、神のもとに帰ろうにも帰れない状態にあるのです。
②熱心な捜索
「いなくなった一匹を見つけるまで」熱心に捜索した羊飼いは、遂に発見して大喜びします。同様に神は「あなたはどこにいるにか」と呼びかけ(創世記3:9)、罪人が悔い改める先に自ら捜しに出かけ、自分から帰ろうにも帰れない罪人を連れ戻すまで決して諦められないお方です。この神の愛を知らせるために遣わされたのが御子イエスです。イエスは十字架と復活によって、神から離れて迷子になっている罪人が神に帰る道を開いて下さいました(ヨハネ14:6)。この神の一方的な愛の捜索劇に気づき、悔い改めと信仰によって神のもとに帰るとき、天では大きな喜びの声が上がり、私たちは恵み深い神と共に真に自分らしく、もっとすばらしく生きることができるようになるのです。

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ヘブル人への手紙11:7「信仰によって、ノアは」

2018年7月8日、ヘブル人への手紙11:7「信仰によって、ノアは」
①信仰による従順
暴虐が地に満ちる「時代の人々の中で正しく、かつ全き人で…神とともに歩んだ」(創世記6:5、11~12、9)ノアは、洪水によって地を滅ぼすから箱舟を造るよう神に命じられると、神の言葉を微塵も疑わないで「すべて神の命じられたようにし」ました(6:13~14、22、7:5、9、16)。「信仰と服従とは、神の人の生涯の軌道をつくる二本のレールである。服従は信仰から生じ、生ける信仰はまた必ず絶対の服従に現れる」(澤村五郎師)。箱舟同様、十字架も「滅び行く者には愚か」に見えますが、罪と滅びから救い得るのはこの十字架のみです(Ⅰコリント1:18、23)。十字架信仰によって救いの箱舟に入れられた私たちは、七日ごとに箱舟に戻ってきます。主日礼拝をささげるためです。これからも御言葉に服従し、主の愛の中に留まり続けましょう(ヨハネ15:9、マタイ11:29)。
②信仰による宣教
洪水から救われたのはノア一家だけでしたが、ノアは「義の宣伝者」として、やがて洪水で滅びること、しかし箱舟に入れば救われることを乗船前まで人々に語ったことでしょう(Ⅱペテロ2:5)。「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい」とあるように、主は個人の救いとともに家族の救いを願っておられます(創世記7:1、使徒16:31)。世の人々に福音を語るとともに、愛する家族に語る責任があります。ノア一家によって始められた新しい地でしたが、再び罪が蔓延し、今度は洪水ではなく火によって滅ぼされ、その後「新しい天と新しい地」が完成します(Ⅱペテロ3:5~13)。それまでの間、私たちも「義の宣伝者」としていのちの限り東奔西走しましょう(使徒18:9~10、ヨハネ9:4、Ⅱテモテ4:2)。

ヘブル人への手紙11:7「信仰によって、ノアは」

2018年7月8日、ヘブル人への手紙11:7「信仰によって、ノアは」
①信仰による従順
暴虐が地に満ちる「時代の人々の中で正しく、かつ全き人で…神とともに歩んだ」(創世記6:5、11~12、9)ノアは、洪水によって地を滅ぼすから箱舟を造るよう神に命じられると、神の言葉を微塵も疑わないで「すべて神の命じられたようにし」ました(6:13~14、22、7:5、9、16)。「信仰と服従とは、神の人の生涯の軌道をつくる二本のレールである。服従は信仰から生じ、生ける信仰はまた必ず絶対の服従に現れる」(澤村五郎師)。箱舟同様、十字架も「滅び行く者には愚か」に見えますが、罪と滅びから救い得るのはこの十字架のみです(Ⅰコリント1:18、23)。十字架信仰によって救いの箱舟に入れられた私たちは、七日ごとに箱舟に戻ってきます。主日礼拝をささげるためです。これからも御言葉に服従し、主の愛の中に留まり続けましょう(ヨハネ15:9、マタイ11:29)。
②信仰による宣教
洪水から救われたのはノア一家だけでしたが、ノアは「義の宣伝者」として、やがて洪水で滅びること、しかし箱舟に入れば救われることを乗船前まで人々に語ったことでしょう(Ⅱペテロ2:5)。「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい」とあるように、主は個人の救いとともに家族の救いを願っておられます(創世記7:1、使徒16:31)。世の人々に福音を語るとともに、愛する家族に語る責任があります。ノア一家によって始められた新しい地でしたが、再び罪が蔓延し、今度は洪水ではなく火によって滅ぼされ、その後「新しい天と新しい地」が完成します(Ⅱペテロ3:5~13)。それまでの間、私たちも「義の宣伝者」としていのちの限り東奔西走しましょう(使徒18:9~10、ヨハネ9:4、Ⅱテモテ4:2)。

詩篇13:1~6「主よ、いつまで」

2018年7月1日、詩篇13:1~6「主よ、いつまで」
①苦悩(1~2節)
「主よ、いつまでなのですか」とは、希望と疑いとが激しくぶつかり合っている言葉です。詩人は、いくら祈っても「いつまで」も主から答えがないので、主に見捨てられたのではないかと感じ、絶えず「魂に痛み…心に悲しみ」を抱えて苦悩しています。逆に神を畏れない敵はますます我が物顔に振る舞い、詩人の苦悩を増幅させています。
②嘆願(3~4節)
詩人はまず「みそなわして(=新改訳「私に目を注ぎ」)」と祈ります。全能の主が「目を注」がれること自体、すでに問題が解決したのも同然で、やがて必ず神の勝利を見ることになります(出エジプト記3:7~10、エズラ記5:5、使徒行伝4:13~31)。それゆえ、この主に対して「わたしの目を明らかにしてください(=新改訳「私の目を輝かせてください」)」と祈るのです。
③信頼(5~6節)
イスラエルが何度背いても、契約のゆえに見捨てず、愛さずにはいられないのが主の愛、主の真実です(エレミヤ書31:3)。詩人は、この主の愛と真実を根拠にして、どこまでも主に信頼しました。救いのみわざをまだ体験していないのに、恵みを先取りして喜び歌いました。
絶望して当然のような状況にあっても、主を信じる私たちにはなお希望があります(申命記33:27、詩篇30:5、ローマ5:5)。祈りに答えることは、全能の主にとっては実に簡単なことでしょうが、すぐに答えていると、私たちはいつまでたっても霊的幼な子のままです。それゆえ主は計り知れないご配慮をもって私たちの祈りを聞いておられ、最善の時に最善の方法で答えられるのです。主に信頼しましょう。

詩篇13:1~6「主よ、いつまで」

2018年7月1日、詩篇13:1~6「主よ、いつまで」
①苦悩(1~2節)
「主よ、いつまでなのですか」とは、希望と疑いとが激しくぶつかり合っている言葉です。詩人は、いくら祈っても「いつまで」も主から答えがないので、主に見捨てられたのではないかと感じ、絶えず「魂に痛み…心に悲しみ」を抱えて苦悩しています。逆に神を畏れない敵はますます我が物顔に振る舞い、詩人の苦悩を増幅させています。
②嘆願(3~4節)
詩人はまず「みそなわして(=新改訳「私に目を注ぎ」)」と祈ります。全能の主が「目を注」がれること自体、すでに問題が解決したのも同然で、やがて必ず神の勝利を見ることになります(出エジプト記3:7~10、エズラ記5:5、使徒行伝4:13~31)。それゆえ、この主に対して「わたしの目を明らかにしてください(=新改訳「私の目を輝かせてください」)」と祈るのです。
③信頼(5~6節)
イスラエルが何度背いても、契約のゆえに見捨てず、愛さずにはいられないのが主の愛、主の真実です(エレミヤ書31:3)。詩人は、この主の愛と真実を根拠にして、どこまでも主に信頼しました。救いのみわざをまだ体験していないのに、恵みを先取りして喜び歌いました。
絶望して当然のような状況にあっても、主を信じる私たちにはなお希望があります(申命記33:27、詩篇30:5、ローマ5:5)。祈りに答えることは、全能の主にとっては実に簡単なことでしょうが、すぐに答えていると、私たちはいつまでたっても霊的幼な子のままです。それゆえ主は計り知れないご配慮をもって私たちの祈りを聞いておられ、最善の時に最善の方法で答えられるのです。主に信頼しましょう。

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エズラ記5:3~17「神の目が注がれていたので」

2018年6月24日、エズラ記5:3~17「神の目が注がれていたので」
神殿再建工事を中断して16年になるユダヤ人を再び立ち上がらせたのは、預言者と神の言葉(5:1~2)、それから「神の目」でした。工事を知った州知事たちは、ユダヤ人から聞き取り調査を行った上でダリヨス王に報告して指示を仰ぎ、それまで結論を出さずに工事を続けさせました。サマリヤ人の態度が敵意と悪意に満ちていたのに対して、知事たちの態度は公明正大でした。それについて著者は、「ユダヤ人の長老たちの上には、神の目が注がれていたので(神の守り・保護を意味する慣用句)、彼らはこれをやめさせることができず」と記します。
「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる」(歴代志下16:9)。主は全地を見渡し、すべてを見て聞いて知っておられるだけでなく、必要なら被造物を総動員してでも「力をあらわされる」お方です。この主の力を体験するためには条件があります。「自分に向かって心を全うする者のために」とあるように、主に従うことです(マタイ13:58)。また、「その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある」(申命記11:12)。「年の始めから年の終りまで」絶えずイスラエルに目を留めておられた主は、天国というゴール目指して地上を旅する私たちをも、「年の始めから年の終りまで」絶えず目を留め顧みていて下さいます。御子イエスの十字架の血潮によって神の子とされた者を、この世のすべてが束になってかかってきても打ち負かすことはできません。神の目が注がれているからです。人間の手に負えないことはあっても、神の手に負えないことなど一つもありません(ローマ8:31、37)。神に信頼しましょう。

エズラ記5:3~17「神の目が注がれていたので」

2018年6月24日、エズラ記5:3~17「神の目が注がれていたので」
神殿再建工事を中断して16年になるユダヤ人を再び立ち上がらせたのは、預言者と神の言葉(5:1~2)、それから「神の目」でした。工事を知った州知事たちは、ユダヤ人から聞き取り調査を行った上でダリヨス王に報告して指示を仰ぎ、それまで結論を出さずに工事を続けさせました。サマリヤ人の態度が敵意と悪意に満ちていたのに対して、知事たちの態度は公明正大でした。それについて著者は、「ユダヤ人の長老たちの上には、神の目が注がれていたので(神の守り・保護を意味する慣用句)、彼らはこれをやめさせることができず」と記します。
「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる」(歴代志下16:9)。主は全地を見渡し、すべてを見て聞いて知っておられるだけでなく、必要なら被造物を総動員してでも「力をあらわされる」お方です。この主の力を体験するためには条件があります。「自分に向かって心を全うする者のために」とあるように、主に従うことです(マタイ13:58)。また、「その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある」(申命記11:12)。「年の始めから年の終りまで」絶えずイスラエルに目を留めておられた主は、天国というゴール目指して地上を旅する私たちをも、「年の始めから年の終りまで」絶えず目を留め顧みていて下さいます。御子イエスの十字架の血潮によって神の子とされた者を、この世のすべてが束になってかかってきても打ち負かすことはできません。神の目が注がれているからです。人間の手に負えないことはあっても、神の手に負えないことなど一つもありません(ローマ8:31、37)。神に信頼しましょう。