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6月ジョイジョイクラブ

★6月ジョイジョイクラブ★

日時:6月24日(日)午後1時~3時頃

みなさん元気ですか?
今月は、皆の大好きなグミ作り(誰でも簡単においしくできます)&楽しい楽しい工作です。
皆で楽しく作り、遊びましょう!

ハガイ書2:1~9「勇気を出せ、恐れるな」

2018年5月27日、ハガイ書2:1~9「勇気を出せ、恐れるな」
神殿再建工事再開から約1か月後、仮庵の祭の最終日、収穫が乏しかったことや(1:10~11)、壮麗なソロモン神殿と比べて再建中の神殿は「無にひとしい」ことで失望落胆する民に、再び主の言葉が臨みました。「勇気を出せ(新改訳「強くあれ」)」と三度も繰り返し語られました。
それは第一に、「わたしはあなたがたと共にいる」からです(4~5節)。時々共にいるのではありません。「エジプトから出た時」以来ずっと共におられました。紅海渡渉やエリコ攻略、バビロン捕囚からの解放他、主が共におられなければ不可能なことばかりでした。失望落胆する民に主は「わたしはあなたがたと共にいる」という約束をもう一度思い起こさせられました。第二に、全世界が揺り動かされ、諸国民が真の神を認めるようになり、財宝を献げ、その財宝が神殿に満ちるようになるからです(6~8節)。事実この直後、ダリヨス王の命令で十分な道具や資材、資金が届けられました(エズラ記6:6~15)。第三に、「主の家の後の栄光(再建中の神殿の栄光)は、前の栄光(ソロモン神殿の栄光)よりも大きい」から、「この所に繁栄を与える」からです(9節)。事実、「宮よりも大いなる」(マタイ12:6)御子イエスが神殿に来られました。
人間的には無に等しいとしか見えない神殿でも、主の目にはそうではありませんでした。主のご計画は私たちの想像をはるかに超えて進められていきます。この主の御力を忘れ、厳しい現実に目を奪われて不安でいっぱいになったり、失望落胆したり、諦めたりしてはいませんか。そんな私たちに主は、「わたしはあなたがたと共にいる」から大丈夫だ、「後の栄光は、前の栄光よりも大きい…わたしはこの所に繁栄を与える」から、「勇気を出せ」と励まして下さるのです。

ハガイ書2:1~9「勇気を出せ、恐れるな」

2018年5月27日、ハガイ書2:1~9「勇気を出せ、恐れるな」
神殿再建工事再開から約1か月後、仮庵の祭の最終日、収穫が乏しかったことや(1:10~11)、壮麗なソロモン神殿と比べて再建中の神殿は「無にひとしい」ことで失望落胆する民に、再び主の言葉が臨みました。「勇気を出せ(新改訳「強くあれ」)」と三度も繰り返し語られました。
それは第一に、「わたしはあなたがたと共にいる」からです(4~5節)。時々共にいるのではありません。「エジプトから出た時」以来ずっと共におられました。紅海渡渉やエリコ攻略、バビロン捕囚からの解放他、主が共におられなければ不可能なことばかりでした。失望落胆する民に主は「わたしはあなたがたと共にいる」という約束をもう一度思い起こさせられました。第二に、全世界が揺り動かされ、諸国民が真の神を認めるようになり、財宝を献げ、その財宝が神殿に満ちるようになるからです(6~8節)。事実この直後、ダリヨス王の命令で十分な道具や資材、資金が届けられました(エズラ記6:6~15)。第三に、「主の家の後の栄光(再建中の神殿の栄光)は、前の栄光(ソロモン神殿の栄光)よりも大きい」から、「この所に繁栄を与える」からです(9節)。事実、「宮よりも大いなる」(マタイ12:6)御子イエスが神殿に来られました。
人間的には無に等しいとしか見えない神殿でも、主の目にはそうではありませんでした。主のご計画は私たちの想像をはるかに超えて進められていきます。この主の御力を忘れ、厳しい現実に目を奪われて不安でいっぱいになったり、失望落胆したり、諦めたりしてはいませんか。そんな私たちに主は、「わたしはあなたがたと共にいる」から大丈夫だ、「後の栄光は、前の栄光よりも大きい…わたしはこの所に繁栄を与える」から、「勇気を出せ」と励まして下さるのです。

ルカによる福音書24:44~49「聖霊の派遣と私たちの派遣」

2018年5月20日、ルカによる福音書24:44~49「聖霊の派遣と私たちの派遣」
本書は、「成就された」(1:1)で始まり、「成就する」(24:44)で終わり、神の約束は「必ずことごとく成就する」という確信で貫かれています。「キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる」ことにより、「その名によって罪のゆるしを得させる悔改め」、救いの道が完成されました。この福音は「エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」ために、弟子たちが「これらの事の証人」として遣わされようとしています。しかし彼らは、弱さや欠けを人一倍持つ者たちです。そんな彼らのために「わたしの父が約束されたもの(聖霊)を、あなたがたに贈る」と言われました。そして約束どおり聖霊が注がれると、臆病な弟子たちがいのちがけで福音を宣べ伝えるようになり、麗しい生活で福音を証しするようになったのです。
あなたにもそのような証人の一人になってほしい。これが、あなたのために御子イエスを犠牲にされた神の何よりの期待です。自分の性格や能力、努力や頑張りではとても証人にはなれないことを正直に認め、「私にも聖霊の恵みが必要です」と祈り求めることです。これまでの生き方を今後もずっと続けていって、恥ずかしくありませんか。弟子たちもこの時点では私たちと大差ない存在でした。しかし弟子たちは造り変えられ、大きく飛躍しました。それは、「わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る」という約束を信じて祈り続け、その約束を実際にいただいたからです。大失敗した「都にとどまって」祈るということは、自分自身の醜い内面、本質から逃げないで、それと向き合うということです。砕かれて十字架を仰ぐとき、聖霊によって潔められ満たされ、力ある証人とされるのです。

ルカによる福音書24:44~49「聖霊の派遣と私たちの派遣」

2018年5月20日、ルカによる福音書24:44~49「聖霊の派遣と私たちの派遣」
本書は、「成就された」(1:1)で始まり、「成就する」(24:44)で終わり、神の約束は「必ずことごとく成就する」という確信で貫かれています。「キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる」ことにより、「その名によって罪のゆるしを得させる悔改め」、救いの道が完成されました。この福音は「エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」ために、弟子たちが「これらの事の証人」として遣わされようとしています。しかし彼らは、弱さや欠けを人一倍持つ者たちです。そんな彼らのために「わたしの父が約束されたもの(聖霊)を、あなたがたに贈る」と言われました。そして約束どおり聖霊が注がれると、臆病な弟子たちがいのちがけで福音を宣べ伝えるようになり、麗しい生活で福音を証しするようになったのです。
あなたにもそのような証人の一人になってほしい。これが、あなたのために御子イエスを犠牲にされた神の何よりの期待です。自分の性格や能力、努力や頑張りではとても証人にはなれないことを正直に認め、「私にも聖霊の恵みが必要です」と祈り求めることです。これまでの生き方を今後もずっと続けていって、恥ずかしくありませんか。弟子たちもこの時点では私たちと大差ない存在でした。しかし弟子たちは造り変えられ、大きく飛躍しました。それは、「わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る」という約束を信じて祈り続け、その約束を実際にいただいたからです。大失敗した「都にとどまって」祈るということは、自分自身の醜い内面、本質から逃げないで、それと向き合うということです。砕かれて十字架を仰ぐとき、聖霊によって潔められ満たされ、力ある証人とされるのです。

ハガイ書1:12~15「奮い立って仕事に取りかかる」

2018年5月13日、ハガイ書1:12~15「奮い立って仕事に取りかかる」
①民は恐れかしこんだ(12節)
信仰はまず御言葉を聞くことから始まります(ローマ10:17)。御言葉を聞かなければ何も始まらないので、毎週の礼拝・祈祷会、毎日の静思の時を大切にしましょう。「民は、その神、主の声と、その神、主のつかわされた預言者ハガイの言葉とに聞きしたがい」ました(サムエル記上3:9)。「あなたがたの歩みをよく考えよ」と迫られた民は、空回り人生の根本原因は優先順位の狂いにあることを素直に認め、今後は御言葉に聞き従っていく決断をし、「主の前に恐れかしこ」みました。
②主は共にいると言われた(13節)
御言葉に「聞きしたがい…主の前に恐れかしこんだ」民に対して、主は「わたしはあなたがたと共にいる」と言われました。この臨在の約束は、民にとって、どんな大国の援助や協力よりもはるかに頼もしいものでした。私たちにも「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)という約束があります。
③主は振り動かされた(14~15節)
臨在の約束をもって励まされた「主は…総督ゼルバベルの心と…大祭司ヨシュアの心…すべての民の心を、振り動かされ(エズラ記1:1、5「感動された」と同語)」、約16年も中断していた神殿再建工事を再開させられました。厳しい事情は少しも変わっていませんが、民の心が変わったのです。御言葉から離れ、優先順位を誤って目先の現象だけを追っていると、私たちは間違いなく失望落胆します。しかし御言葉に耳を傾けるならば、主が共におられることを確信でき、「心を、振り動かされ」、信仰と希望に再び立ち上がることができるのです。

ハガイ書1:12~15「奮い立って仕事に取りかかる」

2018年5月13日、ハガイ書1:12~15「奮い立って仕事に取りかかる」
①民は恐れかしこんだ(12節)
信仰はまず御言葉を聞くことから始まります(ローマ10:17)。御言葉を聞かなければ何も始まらないので、毎週の礼拝・祈祷会、毎日の静思の時を大切にしましょう。「民は、その神、主の声と、その神、主のつかわされた預言者ハガイの言葉とに聞きしたがい」ました(サムエル記上3:9)。「あなたがたの歩みをよく考えよ」と迫られた民は、空回り人生の根本原因は優先順位の狂いにあることを素直に認め、今後は御言葉に聞き従っていく決断をし、「主の前に恐れかしこ」みました。
②主は共にいると言われた(13節)
御言葉に「聞きしたがい…主の前に恐れかしこんだ」民に対して、主は「わたしはあなたがたと共にいる」と言われました。この臨在の約束は、民にとって、どんな大国の援助や協力よりもはるかに頼もしいものでした。私たちにも「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)という約束があります。
③主は振り動かされた(14~15節)
臨在の約束をもって励まされた「主は…総督ゼルバベルの心と…大祭司ヨシュアの心…すべての民の心を、振り動かされ(エズラ記1:1、5「感動された」と同語)」、約16年も中断していた神殿再建工事を再開させられました。厳しい事情は少しも変わっていませんが、民の心が変わったのです。御言葉から離れ、優先順位を誤って目先の現象だけを追っていると、私たちは間違いなく失望落胆します。しかし御言葉に耳を傾けるならば、主が共におられることを確信でき、「心を、振り動かされ」、信仰と希望に再び立ち上がることができるのです。

ハガイ書1:1~11「あなたがたの歩みをよく考えよ」

2018年5月6日、ハガイ書1:1~11「あなたがたの歩みをよく考えよ」
「主の言葉」が預言者ハガイに臨み、「総督ゼルバベル…大祭司ヨシュア」に伝えられました。自分たちは屋根のある家に住みながら、「主の家を再び建てる時は、まだこないと言って」、約16年も工事を中断したままの民に、「自分のなすべきこと(新改訳「あなたがたの歩み」)をよく考えるがよい」(1:5、7、2:15、18)と語りかけられました。これまでの信仰姿勢と、その結果もたらされた現状とを照らし合わせて、「よく考えるがよい」と促されたのです。「多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているような」空回り人生の根本原因は、優先順位が狂っていることにあったのです。
「まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない」空の鳥を養っておられる神、「働きもせず、紡ぎもしない…きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる」野の草花をも「栄華をきわめた時のソロモン」以上に美しく飾られる神が、どうして私たちに「それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」。それゆえ「まず神の国(神の恵みによる支配)と神の義(神との正しい関係)とを求めなさい」。罪を悔い改めてイエスの十字架を信じ、神と共に歩むならば、必要なものは「すべて添えて与えられ」ます。「あすのことを思いわずらう」ことからも解放され、今日一日を神の御手に委ねて精一杯生きることができるようになります(マタイ6:25~34)。「人生、物事がうまく行かないのは、人が神に求めず、自分、自分と自分のことだけに没頭し、自力一つで切り抜けようとするからです。(中略)神の国を第一にして、穴あき袋の徒労人生におさらばしようではありませんか」(吉持章師)。

ハガイ書1:1~11「あなたがたの歩みをよく考えよ」


2018年5月6日、ハガイ書1:1~11「あなたがたの歩みをよく考えよ」
「主の言葉」が預言者ハガイに臨み、「総督ゼルバベル…大祭司ヨシュア」に伝えられました。自分たちは屋根のある家に住みながら、「主の家を再び建てる時は、まだこないと言って」、約16年も工事を中断したままの民に、「自分のなすべきこと(新改訳「あなたがたの歩み」)をよく考えるがよい」(1:5、7、2:15、18)と語りかけられました。これまでの信仰姿勢と、その結果もたらされた現状とを照らし合わせて、「よく考えるがよい」と促されたのです。「多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているような」空回り人生の根本原因は、優先順位が狂っていることにあったのです。
「まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない」空の鳥を養っておられる神、「働きもせず、紡ぎもしない…きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる」野の草花をも「栄華をきわめた時のソロモン」以上に美しく飾られる神が、どうして私たちに「それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」。それゆえ「まず神の国(神の恵みによる支配)と神の義(神との正しい関係)とを求めなさい」。罪を悔い改めてイエスの十字架を信じ、神と共に歩むならば、必要なものは「すべて添えて与えられ」ます。「あすのことを思いわずらう」ことからも解放され、今日一日を神の御手に委ねて精一杯生きることができるようになります(マタイ6:25~34)。「人生、物事がうまく行かないのは、人が神に求めず、自分、自分と自分のことだけに没頭し、自力一つで切り抜けようとするからです。(中略)神の国を第一にして、穴あき袋のスーパーコピー時計徒労人生におさらばしようではありませんか」(吉持章師)。

エズラ記5:1~2「御言葉により再び立ち上がる」

2018年4月29日、エズラ記5:1~2「御言葉により再び立ち上がる」
16年間も中断していた神殿再建工事を再開させた二つの要因とは
①預言者の派遣
エレミヤの預言活動から約60年ぶりに預言者ハガイとゼカリヤがエルサレムに現れ、「ゼルバベル(総督、政治的指導者)および…エシュア(大祭司、宗教的指導者)は立ちあがって、エルサレムにある神の宮を(再び)建て始め」ました。かつて神は、エジプトの奴隷であった民の「うめき…叫び」を「聞き…覚え…顧み」、モーセを指導者としてエジプトを脱出させられました。その後も神は士師や預言者を遣わして民を導いてこられました。「神は天使(良い協力者)をお送り下さる」(鄭弼祷師)。私たちは一人孤独で戦っているのではありません。神が共に戦っていて下さいます。そればかりか、「神の預言者たちも、彼らと共にいて彼らを助けた」、良い協力者・理解者を送って助けて下さるのです。
②御言葉の激励
神殿再建を半ば諦め失望していた民を再び立ち上がらせたのは、預言者であり、預言者によって語られた神の言葉でした。バアルの神との戦いの後、燃え尽き症候群のような状態に陥ったエリヤを再び立ち上がらせたのは、休息と食事、そして神の「静かな細い声」でした(列王紀下 第19章)。イエスが処刑されて絶望するエマオ途上の弟子たちを再び立ち上がらせたのは、復活のイエスによる御言葉の解き明かしでした(ルカ 第24章)。人の慰めの言葉等も確かに重要ですが、それらに勝って神の言葉ほど私たちを力づけ励ますものはありません。しかし何と私たちは、御言葉とは真逆のメッセージを世から受け取っていることでしょうか。神の御言葉にこそ耳を傾けましょう。