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ルカによる福音書24:13~32「復活のキリストは今も」

3月31日、ルカによる福音書24:13~32「復活のキリストは今も」
①復活のキリストは今も一緒に歩まれる
エマオ途上の弟子たちが「このいっさいの出来事について…語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれ」ました。私たちの人生にも、「悲しそうな顔をして立ちどま」らざるを得ないことが少なくありません。しかしそのとき、私たちの罪のために死んで復活されたイエスは「近づいてきて…一緒に歩いて」下さる上、「その話は、なんのことなのか」「あなたが今抱えている問題は何なのか」と相談に乗り、慰め励まして下さいます。
②復活のキリストは今も聖書を説き明かされる
「わざにも言葉にも力ある預言者でした…望みをかけていました」とすっかり過去のこととして語るほど、また空っぽの墓を見ても復活を信じられないほど絶望していた弟子たちに、イエスは旧約聖書全体から復活の事実を説き明かされました。すると「心が内に燃え」、一度は消え失せていた希望の火が再び燃え始めました。御言葉から離れて目先の現象だけに捕われると、間違いなく失望落胆します。しかし御言葉に聞き入るならば、「心が内に燃え」ることでしょう。
③復活のキリストは今も一緒に宿られる
エマオに近づくと弟子たちは立ち止まりましたが、イエスは「なお先へ進み行かれる様子で」した。そこで弟子たちはイエスを「しいて引き止めて」、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい」と願い、共に食卓を囲むうちに霊の眼が開かれ、このお方こそ復活のイエスであると悟りました。私たちもイエスを心の宿にお迎えして、日々イエスを拝して交わり、イエスをより深く知り、愛し従う者とされましょう。

マルコによる福音書15:33~41「わが神、わが神、どうして」

3月24日、マルコによる福音書15:33~41「わが神、わが神、どうして」
十字架につけられたイエスは、苦痛を軽減するための「没薬をまぜたぶどう酒」を拒絶し(23節)、神の怒りの杯を飲み干そうとされました。神のさばきの恐ろしさを象徴する暗闇が全地を覆う中、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。十字架上の第一言では「父よ、彼らをおゆるしください」(ルカ23:34)、神のことを「父よ」と呼ばれていたのに、第四言に至っては「わが神、わが神」と叫ばれています。これは、神との親しい交わりの中にあった御子イエスが、神から完全に見捨てられたことを意味しています。
なぜ罪のない神の御子が神から捨てられなければならなかったのでしょうか。それは、イエスが全人類の罪を代わりに背負い、罪のかたまり、罪そのものとなられたからです(Ⅱコリント5:21)。神は、たとえ愛する御子であったとしても、罪は罪としてさばかずにはいられない義なるお方です。と同時に、御子を犠牲にしてでも、全人類を救わずにはいられない愛なるお方です。この神の義と愛という相矛盾する性質が見事に調和したところが十字架です(新聖歌230番1節)。
イエスが十字架上で息を引き取られると、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂け」ました。「神殿の幕」の奥は、大祭司のみ年に一度だけ入ることが許された至聖所です。この至聖所と聖所を隔てる「幕が…真二つに裂けた」のは、十字架を信じる者は誰でもすべての罪が赦され、神との関係が回復され、憚ることなく神に近づくことができるということを意味しています(ヘブル10:19~20)。しかも百卒長が「まことに、この人は神の子であった」と告白したのは、十字架の救いは異邦人にも及ぶ、全人類のための救いであることを意味しています。

ヨハネによる福音書18:12~27「ペテロの否認」

3月17日、ヨハネによる福音書18:12~27「ペテロの否認」
「もうひとりの…弟子は大祭司の知り合いであったので」、捕縛された「イエスと一緒に大祭司の中庭にはいっ」て行きました。ペテロも彼と共に入って行くこともできたはずですが、「しかし、ペテロは外で戸口に立っていた」「ペテロは遠くからついて行った」(ルカ22:54)。イエスに本気で従おうとせず、ペテロのように付かず離れず「遠くからついて行」き、世に同調して「炭火」を囲んではいないでしょうか。
ゲツセマネに行く前、イエスが「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます」と言われ、ペテロが「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と大言壮語すると、イエスはすかさずペテロが三度否認することを予告されました(13:36~38)。事実そうなり、「するとすぐに、鶏が鳴いた」「主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、『きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた」(ルカ22:61~62)。
ペテロは、大失敗をも包み込んで赦す愛のまなざしに触れて号泣したのでしょう(新聖歌221番)。ペテロ同様イエスを裏切ったユダは、自分の行為をただ後悔しただけで悔い改めることなく、「首をつって死んだ」(マタイ27:5)。しかしペテロは、自分の弱さを正直に認めて悔い改め、再び使命を授けられました(21:16)。「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる」(Ⅱコリント7:10)。四福音書すべてペテロの大失敗を包み隠さず記しています。それは、イエスを信じる人生は、いつでもやり直し可能であるということを私たちに強調したいからです。

ヨハネによる福音書18:1~11「父なる神の杯」

3月3日、ヨハネによる福音書18:1~11「父なる神の杯」
告別説教・祈祷の後、イエスはゲツセマネの「園」に入られましたが(ルカ22:39~46)、これはこの時のイエスにとって最も危険な行為でした。「その所をよく知っていた」ユダは、そこでイエスを敵に渡そうと企んでいたからです。「イエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ」たにもかかわらず、捕縛されるところに自ら進んで身を置かれたのです。主がご自身を顕現されるときに用いられる「わたしが、それである(エゴー・エイミ、出エジプト記3:14)」という言葉をイエスが発せられると、「彼らはうしろに引きさがって地に倒れ」、大祭司の僕に切りかかったペテロには「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」と言われました。
イエスはこの確信に至るまで、ゲツセマネで「苦しみもだえて、ますます切に祈られ」ました。これまで何度も弟子たちに十字架の死を予告し、覚悟しておられたのに、この場に及んでなぜこれほど苦悶されたのでしょうか。それは、十字架上の死は単なる死ではなく、全人類の罪に対する神の怒り、さばきとしての死であったからです。「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」(Ⅱコリント5:21)。「罪を知らない」イエスが全人類の罪を背負って罪の塊となり、聖なる神の怒りの「杯」を飲むのです。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください」というのが本音でしたが、「しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と御心に服従して十字架刑を受け入れられました。それゆえ十字架を信じる者は、神の怒りの杯を飲むことはないのです。

ヨハネによる福音書17:20~26「みな一つとなるため」

2月24日、ヨハネによる福音書17:20~26「みな一つとなるため」
①一致の土台
イエスは告別祈祷の最後に、今後「彼らの言葉を聞いて」信じる人々のために祈られました。その祈りの中心は、「みんなの者が一つとなる(一つであり続ける、の意。「一つ」という語が21~23節に4回)」ということです。やがて一つとなるというのではなく、イエスを信じる者たちの集まりは元来一つなので、今後も一つであり続けるように、ということです。それは、「あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいる」、すなわち御父と御子は一つですから(10:30)、同じ御父を神として仰ぎ、同じ御子を救い主として信じ、同じ天国を目指してこの地上生涯を歩んでいる私たち「みんなの者が一つとなる」ことは至極当然のことなのです。「聖霊による一致を守り続けるように努めなさい(=新改訳「御霊の一致を熱心に保ちなさい」、エペソ4:3)。「あなたの内におられる御霊をあがめるように、兄弟姉妹の内にもおられる御霊をあがめよ」(バックストン師)。一人一人がこのように生きる限り、多少の意見の違いなど問題外、一致が乱れることなどあり得ないのです。
②一致の目的
「みんなの者が一つとなる」のは、「それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるため」です。「日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである」(使徒2:46~47)。「心を一つにして」いた初代教会は、人をかき集めなくても、自然と人がかけ集まってきました。

ヨハネによる福音書17:6~19「真理による聖別」

2月10日、ヨハネによる福音書17:6~19「真理による聖別」
①弟子たちを守って下さい
「この世」は、「敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている」世界で(Ⅰペテロ5:8)、私たちは絶えず「もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦い」にさらされています(エペソ6:12)。神に従って歩もうとすると、悪魔は何とか阻止しようと躍起になります。この悪魔の執拗な誘惑を実体験されたイエスは、「彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護して」こられましたが、いよいよ弟子たちを残して去って行かれます。そこで、「わたしに賜わった御名によって(直訳「御名の中に」)彼らを守って下さい」と祈られたのです。弟子たちがこの世の勢力に押し流されてしまわないよう、神ご自身の中にかくまい続け下さい、という祈りです。
②弟子たちを聖別して下さい
次にイエスは、「真理によって彼らを聖別(神のために世から分け離すこと)して下さい」と祈られました。世から守られるだけでなく、聖別されていなければ、真にキリストを証しすることはできないからです。真理の御言葉に照らして点検し、神を悲しませている部分があるなら悔い改めて十字架を仰ぎ、全く神のものとして聖別されましょう。イエスが来臨して十字架上に「ご自身をささげられたのは」、「無きに等しい者を、あえて選」んで(Ⅰコリント1:28)、「良いわざに熱心な選びの民(文語訳「特選の民」)を、ご自身のものとして聖別するため」でした(テトス2:14)。イエスは今も私たちのために「御名によって彼らを守って下さい…真理によって彼らを聖別して下さい」と祈っておられます。

ヨハネによる福音書17:1~5「栄光で輝かせてください」

2月3日、ヨハネによる福音書17:1~5「栄光で輝かせてください」
告別説教の後、イエスが天を仰いで祈られたその第一声は、「父よ、時がきました」でした。常に神の「時」に従って行動されるイエスは(詩篇31:15)、「わたしの時はまだきていない」と繰り返されましたが(2:4、7:6他)、十字架につけられて栄光を現す「時」が遂にきたことを悟り、自分自身と弟子たちのためにささげられたのが本章の告別祈祷です。
「あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい」とあるように、十字架につけられる「時」が栄光を現す「時」だというのです。しかし、極悪犯罪人を処刑する十字架にイエスがつけられることが、なぜ栄光を現すことになるのでしょうか。
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」(Ⅱコリント5:21)。神が十字架上のイエスをさばかれたのは、「わたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた」から、イエスが全人類の罪を背負って罪そのものとなられたからです。しかし「それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるため」、信じる者の罪を赦すための身代わりでした。だからこそ十字架につけられる「時」は、御父と御子の栄光が現される「時」なのです。イエスは「わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました」と祈り、黙々と十字架に突き進まれました。
イエスの祈りには、十字架によって栄光が現されるように、人々が十字架を信じて永遠の命にあずかるようにという願いが込められています。イエスの告別説教・祈祷を無にしないよう、永遠の命にあふれ、この世で自分に与えられた使命を果たしていきたいものです。
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ヨハネによる福音書16:25~33「勇気を出しなさい」

1月27日、ヨハネによる福音書16:25~33「勇気を出しなさい」
①この世では悩みがある
神を畏れない「この世ではなやみがある」のは当然で、イエスもそうでした。「すべてのものを与えしすえ 死のほか何も報いられで 十字架の上に上げられつつ 敵を赦ししこの人を見よ」(新聖歌99番3節)。このイエスを信じて生きるとき、世と摩擦が生じるのは当然のことです。「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」(Ⅱテモテ3:12)、「今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れない」(Ⅰペテロ1:6)とあるとおりです。
②主にあって平安がある
「世が与える」平安は、「財産があるから大丈夫」等の「から平安」ですが、イエスが与える平安は、状況に左右されない正真正銘の平安です。その秘訣は「わたしにあって」という語にあります。「わたしはすでに世に勝っている」と言われたイエスは、翌日、十字架につけられて死なれましたが、人類最大の敵である罪と死を打ち破って復活され、ただイエスを信じるだけで救われるという道を開いて下さいました。このようにイエスは「世に勝っている」お方ですから、「わたしにあって」、すなわちイエスを信じ受け入れ、イエスに結び合わされているならば、イエスの勝利と平安にも結び合わされ、イエスと共に世に勝ち、平安を得ることができるのです。「わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある(新改訳「圧倒的な勝利者」)」(ローマ8:37)。この世にある限り、確かに様々な戦いがありますが、主にあってすでにその戦いは決着済み、勝利は確定済みなのです。だから「勇気を出しなさい」。

ヨハネによる福音書16:16~24「憂いは喜びに変わる」

1月20日、ヨハネによる福音書16:16~24「憂いは喜びに変わる」
イエスは「しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」と言われました。この翌日イエスは十字架につけられ、死んで墓に葬られ、弟子たちは「見なくな」りますが、イエスは三日目に死を打ち破って復活され、弟子たちは「また…会える」のです。イエスが十字架につけられると、「この世は喜」びますが、弟子たちは「泣き悲し」み「憂え」ます。しかし「その憂い」は「しばらく」の間で、復活によって「その憂いは喜びに変」わります。それはちょうど出産前の母親がその陣痛の苦しみから「不安を感じ」ても、出産後はわが子を抱いた「喜びがあるため」、「もはやその苦しみをおぼえてはいない」のと同じです。弟子たちもまさにそうで、「弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ」とあります(20:19~20)。
様々な試練や問題に直面し、憂いと不安に占領されやすいのが私たちの人生です。しかし復活のイエスを信じる者にとって、憂いはあくまでも「しばらく」の間で、いかなる憂いであってもいつか必ず喜びに変えられます。「夕となり、また朝となった」(創世記1:5)、「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」(詩篇30:5)のです。
不信仰によってイエスを見失うと、憂いに占領されてしまいますが、「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩篇50:15)、イエスの御名によって祈るとき、神はその祈りに答え、「憂いは喜びに変」えられることでしょう。

イザヤ書54:1~10「天幕を張り広げよ」

1月1日、イザヤ書54:1~10「天幕を張り広げよ」
「子を産まなかったうまずめ…産みの苦しみをしなかった者」とは、やがてバビロン捕囚となって荒廃するエルサレムのことです。そんなエルサレムに「歌え…声を放って歌いよばわれ」と主がお命じになるのは、「夫のない者の子(新改訳「夫に捨てられた女の子ども」)」のようにエルサレムも一時的に神に捨てられた状態になっても、やがて回復されて捕囚前よりも繁栄するようになるからです。神は「あふれる憤りをもって、しばしわが顔を隠」されますが、それは罪人が目覚めるまでの「しばし」の間であって、悔い改めるならば即刻「大いなるあわれみをもって…とこしえのいつくしみをもって」抱き締めて下さいます。しかし神のあわれみを拒み続けると、地獄で「とこしえ」に主の憤りを受けることになります。私たちを滅びから救い出すためのイエスの十字架の死を無駄にしてはなりません(Ⅱコリント6:2、ヘブル4:7)。
荒廃していたエルサレムは回復され、民が増え広がっていくので、「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ」、現状に見合った小さな天幕ではなく、将来の繁栄を信じて大きな天幕を造るようお命じになりました。「広くし…張りひろげ…長くし…強固にせよ」とあるのに、私たちは全能の主を常識の範囲内に押し込め、期待もせず、諦めムードになってはいませんか。しかし今こそ「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ」るよう主は望んでおられるのではないでしょうか(詩篇81:10)。そしてそれは、主が「全地の神ととなえられる」ためです。「神から大いなることを期待せよ。神のために大いなることを試みよ」(ウィリアム・ケアリ)。

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