2021年5月16日、ローマ人への手紙9:1~5「万物の上にいます、ほむべき神」
前章で勝利の凱歌を上げたパウロが、ここでは一転して「大きな悲しみ…絶えず痛み」に襲われます。それは、「自分の兄弟たち、肉による自分の同胞」がイエスを拒絶したままだからです。そんな同胞に与えられた神の恵みをパウロは数え上げます。同胞は、神の救いのご計画実現のために選ばれた「イスラエル人」で、神の「子とされる(=聖書協会共同訳「子としての身分」)」恵みにあずかりました(出エジプト記4:22)。神の「栄光」を拝し、神と「契約」を結び、「律法の授与」があり、神を「礼拝」し、神の「約束」が与えられ、約束の救い実現のために「キリストも、肉によれば彼らから出ました」。ところが同胞はイエスを信じようとしなかったばかりか、イエスを十字架につけて処刑したのです。
以前のパウロもそうでしたから、なおさら「大きな悲しみ」を覚えました。ところが突然、「キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。アーメン」と、神への賛美・頌栄で結びます。確かに目に見える現実は厳しく、同胞はイエスの救いを拒んだままです。しかしそれはあくまでも人間の側から見た現実であって、神の側の視点は違います。パウロは、同胞の頑なな現実を見て失望するのではなく、同胞と契約を結ばれた神のご真実に目を注いで希望を抱きました。そうすると思わず神を賛美せずにはいられなかったのです。
家族等の救いを祈り続けてきても、少しも祈りが聞かれる気配がなくて失望しているかもしれません。しかし「キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神」、勝利はすでに確定済みです。信仰の眼差しを高く上げ、諦めないで福音を宣べ伝え、祈り続けましょう。