2022年2月13日、ヨハネの福音書5:1~9a「良くなりたいか」
「三十八年も病気にかかっている人」は、治りたい一心からベテスダの池に行ったものの、癒されないまま38年もの歳月が経過していました。治りたいという意欲がいつしか薄れ、無気力な日々を送っていたのでしょう。イエスに「良くなりたいか」と問いかけられたとき、思わず「池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます」と恨み言を口にしました。しかし「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と命じられるや否や、眠っていた願望を呼び覚まされた病人は、否定的な返答をせず、信じて起き上がったところ、「すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した」。
私たちも「もっと良くなりたい。もっと良い人生を送りたい」と願いながらも、すぐその後で「でも、どうせ」という否定的な言葉が出てくる。信仰を働かせるよりも常識や経験を働かせる。そして「私はとても飛び込めない。私の人生など所詮こんなもの」と失望し、良くなりたいと願うのを諦めてはいないでしょうか。私たちの人生を縛り付けているものには様々なものがありますが、最大の力で人間を縛り付けているもの、それは「罪」です。イエスはこの罪を解決するために来臨し、十字架と復活によって救いを完成され、「良くなりたいか」とあなたにも語りかけておられます。神のみわざを妨げているのは、第一に自分の力に頼って神を必要としない心、第二に状況に満足して妥協する心、第三に真剣に願おうとしない心です。これら人生を縛り付けている「床」を捨てて、「私も良くなりたい」とイエスを見上げて立ち上がるとき、あなたにも人生の変革が始まるのです。