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ヨハネの第二の手紙 7~13「真理と愛に留まる」

2016年2月28日、ヨハネの第二の手紙 7~13「真理と愛に留まる」
①よく注意せよ(7~8節)
当時、「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しない」異端(グノーシス主義)が「多く世にはいってき」ていました。イエスの警告が現実問題となっていたので(マルコ13:22~23)、ヨハネは本書を記す必要に迫られたのです。以来、統一協会やエホバの証人、モルモン教他、様々な異端が次々と現れ、人々を真理から遠ざけています。「羊はその声を知っているので、彼について行く…ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」(ヨハネ10:2~5)。本物と偽者とを判別できる羊であるためにも、毎週の礼拝や祈祷会、毎日の静思の時を大切にし、主の御声を聞き続けましょう。
②行き過ぎるな(9節)
神の救いのご計画を十字架と復活によって実現された御子イエスを否定して「キリストの教をとおり過ごして(新改訳「行き過ぎをして」)」いる異端は、「神を持っていない」し、「救はない」(使徒4:12)のです。異端は「聖書に従って教えるのではなく、自分たちに聖書を従わせようとします。聖書は従わせるものではなく、私たちが従うべき信仰と生活の唯一の基準」です(リジョイス)。あなたの御言葉に対する姿勢はいかがですか。日々、御言葉に聞き従っているでしょうか(ヤコブ1:22)。
③仲間になるな(10~11節)
異端を「家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない」とは厳しい命令ですが、異端を寛容に受け入れると、やがて「その悪い行いにあずかることになる」危険が大だからです。しかし異端の人々のためにもイエスは死なれたゆえ、彼らのためにも祈りましょう。

ヨハネの第二の手紙 4~6「真理と愛に生きる」

2016年2月21日、ヨハネの第二の手紙 4~6「真理と愛に生きる」
①真理に生きる(4節)
イエスこそ「道…真理…命」そのものであり、それを記す「御言は真理」ですから(ヨハネ14:6、17:17)、「戒めどおりに、真理のうちを歩いている」とは、御言葉に従って歩んでいると換言できましょう。神から遠く離れて自分勝手に歩む人間は、自由を謳歌しているようでいて、その実は「罪の奴隷」であり、結末は永遠の滅びです(ローマ6:23)。イエスと二人三脚の歩みをするときにこそ、真の自由を味わい得るのです(マタイ11:29、ヨハネ8:32、Ⅱコリント13:8)。真理に目が開かれ、罪の悔い改めと十字架信仰によって救われた者が、「信仰は本人の自由」などと物わかりのよさそうなことを言って、愛する家族・友人等の永遠について無関心であるのは、あまりにも無責任ではないでしょうか。
②愛に生きる(5~6節)
イエスは「互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われました。十字架上で命を捨てるほど私たちを愛して下さったイエスの愛が、互いに愛し合うことの根源・原動力です。「わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」(Ⅰヨハネ3:18)と言われても、そうできない者です。そのことを素直に認めて十字架を仰ぐとき、「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2:19~20)との御言葉が成就し、「聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれて」(ローマ5:5)、互いに愛し合うことができるように変えられていくのです。

ヨハネの第二の手紙1~3「真理と愛」

2016年2月14日、ヨハネの第二の手紙 1~3「真理と愛」
イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)と言われました。イエスこそ天のすまいへと導き入れる救いの「道であり、真理であり」、信じる者に永遠の「命」を与えるお方です。イエスこそ「真理」そのものであり、神の「御言は真理であります」(ヨハネ17:17)。このことがどんなに時代が変わっても永遠不変の真理であることを私たちに教えるのが「真理の御霊」(ヨハネ16:13)です。「真理の御霊…はわたし(キリスト)についてあかし」し、「あらゆる真理に導いてくれ」ますが、その中でも特に重要なのが救いの真理です(ヨハネ16:8~11)。御霊は、これまで犯してきた数限りない「罪」を示しますが、その中でも最大の罪は、「罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである」とあるように、神に造られ愛されていながら、神を無視して自分勝手に生きていることであり、その罪を赦すために遣わされたイエスを信じないことです。御霊は、これこそ最大の罪であり、不幸の根源であることに目を開きます。と同時に御霊は、イエスこそ「義」そのものであり、イエスの十字架と復活を信じることによって「義」とされることについても目を開きます。さらに御霊は、十字架と復活によって「この世の君(サタン)」に「さばき」がすでに下されていること、人は皆、世の終りに神の「さばき」を受けること、罪が未解決であれば永遠の滅びであることについても目を開きます。そして神の前に罪を悔い改め、イエスを信じる信仰へと導いて下さいます。「戒めどおりに、真理のうちを歩いている者がある」一方で、そうでない人もいたため、ヨハネはこの第二の手紙を書いたのです。

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