2015年11月22日、マタイによる福音書7:24~29「人生の土台は大丈夫?」
①人生の嵐―両者の共通点
岩の上に建てられた家も、砂の上に建てられた家も、どちらも暴風雨に襲われたように、信仰の有無に関わらず、人生には試練や困難という嵐がつきものです(ヨハネ16:33)。様々な人生の嵐の中でも最大の嵐は、死後に訪れる神のさばきという嵐です。人は「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが…定まってい」て(ヘブル9:27)、そこで生前の言動や思いのすべてが明らかにされます。人前では言い訳や偽りが通用しても、神のさばきの前では全く通用しません。絶対間違いのない神のさばきの前にただひれ伏す他ありません。
②人生の土台―両者の相違点
「岩の上に(ルカ6:48「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて」)自分の家を建てた賢い人」とは、主の「言葉を聞いて行う」者のことであり、「砂の上に(ルカ6:49「土台なしで、土の上に」)自分の家を建てた愚かな人」とは、主の「言葉を聞いても行わない者」のことです。神の被造物である私たち人間は神に的を合わせて生きるべきところ、神の言葉に背いて自分勝手に歩んでいます。そのような人生は「風の吹き去るもみがらのよう」で、「さばきに耐え」ません(詩篇1:4~5)。人生の土台が間違っていたことを素直に認め、「悔い改めて福音を信」じることこそ(マルコ1:15)、主の言葉を聞いて真っ先に行うべきことです。その上で御言葉に従って歩むならば、「神はわれらの避け所また力」ですから(詩篇46:1)、いかなる人生の嵐や神のさばきに遭っても倒れません。「勝ち得て余りがある」人生です(ローマ8:37)。あなたの人生の土台は間違っていないでしょうか。不従順のゆえに土台がぐらついていないでしょうか。