記事一覧

マルコによる福音書1:6~8「私よりもさらに力のある方」

2018年11月25日、マルコによる福音書1:6~8「私よりもさらに力のある方」
バプテスマのヨハネの使命は、人々をキリストに導く道備えをすることで、「水でバプテスマをさずけ」ていました。それは、「聖霊によってバプテスマをお授けになる(聖霊の中に浸す、沈める、の意)」キリストを信じて聖霊なる神の中にどっぷり浸され、聖霊色に染まり、神に似せられていくというキリストによる救いの予備的なものでした。
ヨハネ自身、「荒野で呼ばわる者の声」に過ぎないこと、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる」こと、「わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない」ことを謙虚に自覚していました。「声」というものは、言葉を運ぶ器に過ぎないと同時に、瞬間的に消え去っていくものです。ヨハネは「彼(キリスト)は必ず栄え、わたしは衰える」(ヨハネ3:30)と言いました。「花婿の友人」は「花婿」のため心砕いて婚宴を整え、婚宴後は自分の責任を果たした喜びと満足に満たされて静かに立ち去ります。ヨハネは、ちょうど「花婿の友人」のような思いでキリストのために道備えをしてきたこと、そして今や表舞台から消え去る日が来ていることを自覚していました。キリストの登場によって自分の影が薄れても少しも腐りません。それは、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない」(ヨハネ3:27)ということを悟り、己の分を正しく認識していたからです。
パウロの切願も「わたしの身によってキリストがあがめられる(拡大される、の意)こと」(ピリピ1:20)でした。私によってキリストが拡大されているでしょうか。逆に縮小されていないでしょうか。キリストを知らない人々のために、今こそ「荒野で呼ばわる者の声」が必要です。

マルコによる福音書1:2~5「荒野で叫ぶ者の声」

2018年11月18日、マルコによる福音書1:2~5「荒野で叫ぶ者の声」
「預言者イザヤの書に…と書いてある」とは、「神の子イエス・キリストの福音」は、旧約聖書の預言の成就だということです。最初の人アダムが罪を犯したときから計画されていた救いで(創世記3:15)、イザヤ他の預言者たちに度々打ち明けられてきました。そうした入念な準備の後にキリストが登場するのですが、その前にバプテスマのヨハネが遣わされ、人々がキリストを信じ受入れる道備えをしました。
ヨハネの中心メッセージは「悔改め(心の方向転換、の意)」でした。心の向きを180度変え、自分中心から神中心に方向転換することです。生まれながらの人間は皆、神に背を向けて生きている罪人です。罪を犯すから罪人なのではなく、生まれながらの罪人だから罪を犯してしまうのです。神に背を向けたまま歩き続けると、神から遠ざかる一方です(マルコ7:21~22)。そのような歩みがいかに人を傷つけ、自分を汚し、神を悲しませてきたかに気づいて、今後は自分中心から神中心に生きていこうと心の向きを180度変えるのが「悔改め」です。そのように神に向かって歩み続けると、神にますます近づき、神と共に歩むようになります。これこそ神に造られた人間の本来あるべき姿です。とは言え、悔い改めだけでは救われません。罪を悔い改めた上でイエスの十字架を信じるから救われるのです(使徒行伝20:21)。
当時、救い主が来られたら、神の選民ユダヤ人は自動的に救われると信じていました。ヨハネはそうした浅薄な期待を打ち砕き、真に心の方向転換をしたなら、「悔改めにふさわしい実を結」ぶはずだ、と語りました(ルカ3:8)。悔い改めの徹底こそ、救いの鍵だからです。

マルコによる福音書1:1「イエス・キリストの福音」

2018年11月11日、マルコによる福音書1:1「イエス・キリストの福音」
「神の子イエス・キリスト(について)の福音」こそ、全人類が最も必要としていた勝利の知らせ、喜びのおとずれです。人類共通の究極の問題である罪と死に、真の解決を与え得るものだからです。世のニュースは、どんな大事件や大発見であっても、しばらくすると忘れられてしまいますが、福音は永遠に変わらないグッドニュースです。
「神の子イエス・キリスト」とは、イエスはキリスト(油注がれた者、の意)であり神の子である、ということです。ペテロは弟子たちを代表して「あなたこそ、生ける神の子キリストです」、イエスこそ約束のメシヤ=キリスト、救い主と信仰告白しました(マタイ16:13~16)。御霊は罪を指摘し、十字架はその罪を赦すためであることを示し、悔い改めと信仰へと導きます(マタイ16:17、Ⅰコリント12:3)。「神の子イエス」と言っても、イエスは神の被造物ではなく、永遠の初めから父なる神と共にいて天地を創造され、人々に神を見せ、十字架と復活による救いを完成するために来臨された「神の子」です(ヨハネ1:2~3、14、18)。
パウロとバルナバの伝道旅行に同行しながら途中で逃げ帰ってしまったマルコ自身(使徒行伝13:5、13)、「彼(マルコ)はわたしの務のために役に立つから」とパウロに高く評価されるほど、福音によって造り変えられました(Ⅱテモテ4:11)。イエスを裏切ったペテロも、「弟子たちとペテロとの所へ行って」(マルコ16:7)という御使の言葉を聞き、裏切者の名をもう一度呼んで下さるイエスの愛に触れ、再び立ち上がることができました。「神の子イエス・キリストの福音」は、信じる者の人生を造り変え、新しく出直す力、立ち上がる力を与えるのです。

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ