3月25日、ヨハネによる福音書2:1~11「水をぶどう酒に変えるキリスト」
人生最大の喜びである婚礼において、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。これは、私たちの人生にも思いがけない問題や悩みが生じ、喜びや楽しみが尽き果てる時がくることを意味しています。この世の有限なものに人生の基盤を置いている限り、真の平安や満足がなく、絶えず恐れや不安が付きまとうのも至極当然のことです。
婚礼の最中の大ピンチ、母マリヤは真っ先にイエスのもとへ行って窮状を報告して助けを求めました。行き詰まりは決して絶望ではありません。「人のピンチは神のチャンス」。行き詰まったならば、慌てふためいたり、肉の知恵を働かせたりせず、「ぶどう酒がなくなってしまいました。神の助けなしではもう駄目です」と自らの欠乏を素直に認め、イエスの前に出ることが、恵みにあずかる秘訣です。
マリヤは僕たちに、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」と言い置き、僕たちはイエスに命じられたとおり、「四、五斗(80~120㍑)もはいる石の水がめ…六つ」に、水を「口のところまでいっぱいに入れ…料理がしらのところに持って行き」ました。すると、ただの水がぶどう酒に、しかもより上等なぶどう酒に変わっていたのです。私たちの罪のために十字架上で死んで復活されたイエスを信じ、イエスに100%従っていくならば、私たちの人生にも同じ奇跡が起こります。水のように味気なく、やがて腐敗していく人生が、ぶどう酒のように喜びに満ち、年を重ねるほどに芳香を放つ人生へと変えられるのです。そしてそのゴールは天国です