3月27日、ヨハネによる福音書5:19~30「御父と御子」
父なる神と御子イエスとは一体で、御子はすべて「父のなさることを見てする」のですが、ベテスダの池の奇跡「よりも大きなわざ」とは、
①命を与える御父と御子(21、24~26節)
「わたしの言葉を聞いて…神の子の声を聞く時が来る…そして聞く人は生きるであろう」とあるように、救いはまず聞くことから始まります(ローマ10:17)。「自分の罪過と罪とによって」(エペソ2:1)「死んだ人たちが、神の子の声を聞く時」、自分は神の前に罪人であり、このままでは永遠の滅びであることを知ります(ローマ3:23、6:23)。すると、御子イエスが十字架上で死んで三日目に復活されたのは、他でもないこの私の罪のためであったことを鮮やかに悟り、悔い改めと信仰へと導かれます。そうするならば、「聞く人は生きる…永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っている」のです。御父と御子は、病の癒し以上にすばらしい救いを得させるため、また救われた者が御言葉によって養われ、天国のゴール目指して真っ直ぐ歩み続けることができるため、「今に至るまで働いておられる」のです。
②さばきを行う御父と御子(22、27~30節)
肉体的に死んで「墓の中にいる者たち」は、世の終わりに「神の子の声を聞」くと、「善をおこなった人々」も「悪をおこなった人々」も死から「よみがえって」、神の「さばきを受け」(ヘブル9:27)、生前の言葉と行い、思いのすべてが明らかにされます。「善をおこなった人々」、イエスを信じて救われた者は、「生命を受けるためによみがえり」、天国で神と共に永遠に生きます。しかし「悪をおこなった人々」、イエスを信じなかった者は、「さばきを受け」、永遠の滅びを刈り取るのです。