1.主を見て、自分の罪を知り、赦される(1~7節)
イザヤは、イエス様が生まれになる700年以上前の預言者です。すでに預言者として活動し、神様の御言葉を語っていました。再召命にあたり、イザヤはきよい主を見て、自分がいかに汚れた罪びとであるかを思い知らされました。しかし、主は御使いを通して、燃えさかる炭をイザヤの唇に触れさせることで、その罪を赦されたのです。私たちも主を仰ぎ見て、自分の罪があるなら、イエス様の十字架の血によって、その罪を赦していただくことが何より大切です。
2.主に献身し、御言葉を語ること(8~13節)
イザヤが自分の罪を認め、主がその罪を赦された後、主はイザヤに『だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。』と問われました。すると、イザヤは『ここに私がおります。私を遣わしてください。』と応答しました。しかし、主はあえてイザヤに民の心をかたくなにする言葉を語るように命じられました(9~13b)。それは、『切り株』、『聖なる裔』であるイエス様が来られて、御言葉が成就するためでした(ヨハネの福音書12章37~41節)。イザヤは主が語れと言われた御言葉を大胆に語りました。
私たちも『ここに私がおります。私を遣わしてください。』と主に応答し、主の御言葉をまっすぐに語る者として遣わされていきましょう。