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ゼカリヤ書12:1~14「恵みと祈りの霊を注ぐ」

2016年5月15日、ゼカリヤ書12:1~14「恵みと祈りの霊を注ぐ」
周辺諸国に攻撃されるイスラエルを主が「よろめかす杯…重い石…たきぎの中の火皿…麦束の中のたいまつのようにする」ので、イスラエルは敵に勝利し、主が「恵みと祈の霊とを注ぐ」と、主の救いを経験したイスラエルは、かつて主を拒んで従わなかった罪を思い返して「嘆き…悲しむ」ようになる、という預言です。それは、「国じゅう」に及ぶ国家的な悔い改めであると同時に、「別れて嘆き」(12節に5回、13節に4回、14節に2回)とあるように個人的な悔い改めでもあります。
この預言は、イエスの十字架において(ヨハネ19:37)、ペンテコステにおいて成就しました。ペテロが説教の最後に、「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」と迫ると、「人々はこれを聞いて、強く心を刺され」、「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と問わずにはいられませんでした。そこでまずペテロは「悔い改めなさい(方向転換しなさい)…イエス・キリストの名によって(イエスを信じて)、バプテスマを受けなさい」と語りました。この悔い改めと信仰によって、「罪のゆるしを得…聖霊の賜物を受ける(新改訳「賜物として聖霊を受ける」)」のです。初代教会は、明確な救いにあずかった人々で構成されていたゆえ、主を愛し、主に従い、宣教に熱心な教会であり得たのです(使徒行伝2:36~42)。
「わたしは…恵みと祈の霊とを注ぐ」、これこそが閉塞感打開の鍵です。この約束がまず自分自身に実現するように、明確な救いと潔め、御霊の満たしが与えられるように祈るべきではないでしょうか。聖霊は、祈り求める者に(ルカ11:13)、悔い改める者に(使徒行伝2:38)、従う者に(使徒行伝5:32)、信じる者に(使徒行伝15:9)必ず与えられます。