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詩篇100:1~5「喜びをもって御前に来たれ」

4月6日、詩篇100:1~5「喜びをもって御前に来たれ」
詩人は「全地」に向かって「喜びをもって…歌いつつ…感謝しつつ…ほめたたえつつ」神を礼拝するよう招いています。それはなぜか。
①主は神であるから(1~3節)
聖書中、神の民はしばしば「羊」にたとえられ、中でも特に迷い出た羊として描かれています。「羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った」(イザヤ書53:6)人間に真の神を教え、神のもとに連れ戻すために来臨されたのが御子イエスです。この私を愛し、罪を贖うために死なれた十字架のイエスを仰ぎ見るとき、「われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である」と告白し、心から喜んで礼拝することでしょう。
②主は恵み深いから(4~5節)
「恵み…いつくしみ…まこと」は、契約における神の姿勢を表す重要語です。本篇は、バビロン捕囚から帰還後、神殿を再建・奉献したときに歌われた詩であろうと言われています。そのときイスラエルはきっと思ったことでしょう。主はよくぞこんな羊をも見捨てず、「恵み…いつくしみ…まこと」の限りを尽くして導き続けて下さった、と。すると自ずから喜びと感謝にあふれて礼拝したに違いありません。
イスラエル同様、何度も主に背いてきた私たちが、今なお礼拝の民とされています。また、神の真実は「耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さ」いました(Ⅰコリント10:13)。すべては主の「恵み…いつくしみ…まこと」以外の何ものでもないことを思うとき、毎週、毎日、喜びに満たされて主を礼拝せずにはいられません。