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ルカによる福音書2:22~38「宮を離れずに」

9月19日、ルカによる福音書2:22~38「宮を離れずに」
ヨセフとマリヤは男児に「割礼をほどこ」し、「イエスと名づけ」ました。そして「きよめの期間が過ぎたとき」、エルサレム神殿へ行き、「幼な子を主にささげ…犠牲をささげ」ました(21~24節)。この赤子こそ約束の救い主だと確信して礼拝したのが、シメオンとアンナでした。
「正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められる(救い主の来臨)のを待ち望んでいた」シメオンは、「聖霊が彼に宿って…主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けてい」ました。そんな彼が「御霊に感じて宮にはいった」ところ、ちょうど「両親もその子イエスを連れてはいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き」、このイエスこそ「万民」の救い主であることを見出し、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます」と神をほめたたえ、さらに「この幼な子は…反対を受けるしるしとして、定められています」とイエスの受難をも預言しました。
アンナは「非常に年をとっていた…八十四歳」の「女預言者」で、その結婚生活は「七年間」続いただけで、その後84歳になるまで約60年間やもめとして過ごしてきた女性です。そのような厳しい状況にあるからこそ神にしがみつき、「宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕え」てきたのです。その信仰と祈りの報酬として救い主を拝したアンナは、「神に感謝をささげ」、「この幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせ」ました。
老年になると繰言が多くなりがちですが、「宮を離れずに」生きる彼らにはそれが見当たりません。教会生活を中心に、天のふるさとを待ち望みつつ(ヘブル11:16)、御言葉と祈りに生きる老年は幸いです。