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ヘブル人への手紙12:12~17「きよくならなければ」

7月19日、ヘブル人への手紙12:12~17「きよくならなければ」
①手とひざを強くせよ(12~13節)
主は私たちを愛し期待するがゆえに、あえて私たちを訓練されますが(6節)、「それだから…なえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい」と激励されます。「手と…ひざ」は祈りを暗示しています。主の訓練に耐えかね、時に失望落胆、意気消沈して祈れなくなってしまうことがあります。歩かなければ足腰が弱るのと同様、祈らなければ信仰全体が弱ってしまい、その結果、ますます祈れなくなり、負の連鎖に陥ります。それゆえ、祈れない時にこそ祈る必要があるのです。そしてこれこそ訓練を乗り越える秘訣であり、信仰回復のための最短距離です。お互い弱い者であることを自覚して、祈り合い支え合いながら、天国のゴールを目指したいものです(13節)。
②平和と聖を追い求めよ(14~17節)
主が私たちを訓練されるのは、「きよさにあずからせるため…平安な義の実を結ばせる」ためですが(10~11節)、ここでも「すべての人と相和し(=直訳「平和」)、また、自らきよくなるように(=直訳「聖なること」)努めなさい」と命じます。「聖」とは、世から区別されて主のものになりきることです。「努めなさい(=直訳「追い求め続けなさい」)」ということは、平和や聖は放っておけば自然に生じるものではなく、絶えざる努力と訓練によって生み出されてくるものだということです。「一杯の食のために」「長子の特権を軽んじた」エサウはそれらを怠った失敗例です(創世記25:29~34)。常に平和と聖を追い求め続けている人は、主と親しく交わることができ、再臨の「主を見ることができ」るのです。