記事一覧

ローマ人への手紙14:1~12「主のために生き、主のために死ぬ」

3月8日、ローマ人への手紙14:1~12「主のために生き、主のために死ぬ」
当時の市場では、偶像に供えた肉を混ぜて売っていました。そのため、肉を食べると間接的ではあっても偶像礼拝に参与することになると考え、「野菜だけを食べる」人たちがいました。その一方で、「偶像なるものは実際は世に存在しない…唯一の神のほかには神がない」のだから(Ⅰコリント8:4)、偶像に供えられた肉であろうとなかろうと全く問題ないと考え、平気で肉を食べる人たちがいました(Ⅰコリント8:1~13)。また、宗教上の祭の日や断食日等の「この日」についても、同様の考え方の違いがありました(ガラテヤ4:9~11、コロサイ2:16~22)。
イエスご自身「どんな食物でもきよいものとされ」(マルコ7:19)、「それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れている」ので(14節、Ⅰテモテ4:4)、もはや食物や日の規定に縛られる必要など全くありません。しかしなお規定に縛られている者を、規定に縛られない強い者は「信仰の弱い者」と「軽んじ」、逆に弱い者は強い者を滅ぶべき信仰者と「さばいて」いました。
そこでパウロは、「食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない」と命じました。それは、「神は彼を受けいれて下さった…から」で、「他人の僕をさばく」のと同様、キリストの僕とされた兄弟をさばくのは非常識な越権行為です。具体的判断が多少異なっても、食べるのも「主のため」、食べないのも「主のため」、結局「生きるにしても死ぬにしても…主のもの」とされているお互いです。「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみ」等の罪については厳格、枝葉の問題については寛容でありましょう。