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ローマ人への手紙1:1~7「神の福音とパウロ②」

7月9日、ローマ人への手紙1:1~7「神の福音とパウロ②」
①福音の奴隷(1節)
人は皆生まれながらに「罪の僕」ですが、神は御子イエスの十字架を信じる者の罪を赦して「義の僕」とする救いの道を開いて下さいました(6:17)。この救いを体験したパウロは真っ先に「キリスト・イエスの僕」と自己紹介し、神の恵みを知れば知るほど、自らの小ささを知るようになりました(Ⅰコリント15:9「使徒たちの中でいちばん小さい者…使徒と呼ばれる値うちのない者」→エペソ3:8「聖徒たちのうちで最も小さい者」→Ⅰテモテ1:15「罪人のかしら」)。旧約時代、奴隷が一人で自由の身になるよりも、妻子と共に主人に仕えることを望む場合、主人は奴隷の耳をきりで刺し通し、主人への愛に基づく自発的な奴隷になることができました(出エジプト21:1~6)。イエスは私たちに仕えるために人となり、弟子たちの足を洗い、十字架上で命までもお捨てになったのみか、天国でも私たちの涙を拭おうと待ち構えていて下さるお方です(ピリピ2:6~8、ヨハネ13:1~5、黙示録21:4)。このような「キリスト・イエスの僕」であるとは何という光栄でしょうか。
②福音の目的(5節)
あらゆる国の人々が「信仰の従順(信仰すなわち従順、の意)」に生きるように導くのが福音です。真の信仰には必ず御言葉への聴従が伴うものです(10:17)。「従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」のです。しかし部分的な服従は、主の目には全く従っていないも同然、「占い…偶像礼拝の罪に等しい」大罪なのです(サムエル上15:1~23)。