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ローマ人への手紙1:18~32「なすに任せる神の怒り」

7月23日、ローマ人への手紙1:18~32「なすに任せる神の怒り」
①神の怒り(18~23節)
「不義をもって真理をはばもうとする」と、当然のように「不信心(神に対する不信仰の罪)と不義(人に対する不誠実の罪)」が生じてきます(18節)。神を神として崇めないばかりか、神ならぬ偶像を作って拝むようになります(21~23節)。神のかたちに造られた人間は、神を心の中に迎えない限り安息はなく、その空しさを埋めるため神に代わるものを求めるのです。神は、「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるように」(使徒17:27)、被造物を通して(詩篇19:1)、また歴史や聖書、御子イエスを通して真理を啓示されているのですから、「弁解の余地」など全くなく(19~20節)、それゆえ神の怒りが現れているのです(18節)。
②神のさばき(24~32節)
神の怒りは、なすに任せる(見捨てる、の意。24、26、28節)というかたちで現れています。道徳的・性的に汚れるままに任せ(24~25節)、不自然な「情欲に任せ」(26~27節)、「なすべからざる事をなすに任せられ」ました(28~31節)。その結果は「死に値する」、すなわち永遠の滅びです(32節)。神が真理を啓示し、何度も警告してきたのに、ますます自分勝手な道を歩む罪人に対しては、神はなすに任せられるのです。人が神を捨てると、神もその人を見捨てられる、これほど恐ろしいさばきはありません。そうならないよう、神の前に独り丸裸になって罪を悔い改め、十字架を仰ぎ、御言葉と御霊の光に即刻従順に従いましょう(ヘブル4:7)。