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マルコによる福音書10:17~31「全能の神を信ず」

5月29日、マルコによる福音書10:17~31「全能の神を信ず」
①神の全能の現れ
神の全能は、天地創造と保持に、また御子イエスの聖霊による受肉降誕に現されました(ルカ1:37)。さらに御子の十字架上の死によって悪魔が勝利したかのように見えましたが、「神はその力をキリストのうちに働かせて」復活、昇天、着座させ(エペソ1:20)、救いを完成することによって、神の全能が現されました。そして神の全能は、罪人を救うということにおいて最高に現されたのです。罪人の救いこそ世界中で最も至難のわざで、「人にはできないが、神にはできる」のです(27節)。この私が救われたのも、神の全能の働き以外の何ものでもありません。
②神の全能を信じるとは
「肉体に一つのとげが与えられ」たパウロは、その除去を切願しましたが、主からの答えは「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」というものでした(Ⅱコリント12:7~10)。自分の力ではなく神の全能により頼むならば、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができ」(ピリピ4:13)、困難の大山、試練の大山をも動かすことができるのです(マタイ17:20)。ナザレの人々のように、「不信仰のゆえに」神の全能を無にしてはいないでしょうか(マタイ13:58)。ただし神の計り知れない御心のゆえに癒されない病もあり、動かされない大山もあります。神の全能を信じるとは、神の御心に全く委ね、パウロのように御心を謙虚に受け入れることでもあるのです。