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ヨハネによる福音書16:1~11「我は聖霊を信ず」

8月14日、ヨハネによる福音書16:1~11「我は聖霊を信ず」
①義認(救い)における聖霊
「真理の御霊…はわたし(キリスト)についてあかしを」し、「あらゆる真理に導いてくれ」ますが(ヨハネ15:26、16:13)、真理の中でも特に重要なのが救いに関することです。聖霊は、これまで犯してきた「罪」について、特にキリストを信じないことこそ最大の罪であることに目を開きます。と同時に「義」、すなわちキリストの十字架と復活による救いについても目を開き、罪が未解決であれば永遠の滅びという「さばき」があることについても目を開きます(ヨハネ16:8~11)。そして聖霊は、悔い改めと信仰によって罪赦された者の内に宿り、試練や苦悩の尽きない人生を共に歩んで下さる「助け主」であり(ヨハネ14:16~17)、御言葉を開いて信仰の奥義を悟らせて下さる「真理の御霊」です(ヨハネ16:13)。
②聖化(潔め)における聖霊
救われてもなお、「欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている」という魂の葛藤を覚えます(ローマ7:15~24)。その原因は「内に宿っている罪」(自我、肉、古き人)にあります。聖霊によって自己の醜い真相が暴露され、神の前に全く砕かれた魂で十字架を仰ぐとき、あの十字架は犯した罪を赦すだけでなく、内に宿る罪も共につけられて死んだ十字架であることを見出します(ガラテヤ2:19~20)。そして、罪を犯しては悔い改めるという中途半端な信仰生活に終止符を打ち、誘惑に勝利し続けることのできる信仰生活を送らせ、品性の実を結ばせ、日々キリストに似る者として下さるのです(ガラテヤ5:22~23、4:19)。