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ヘブル人への手紙11:17~22「信仰によって、ヨセフは」

3月4日、ヘブル人への手紙11:17~22「信仰によって、ヨセフは」
エジプトの総理大臣になるまでのヨセフの人生は、高められたかと思うと下げられ、下げられたかと思うと再び高められという具合に実に波乱万丈でした(創世記第37~50章)。「彼の言葉の成る時まで、主のみ言葉が彼を試みた」(詩篇105:19)とあるように、神のご計画実現のためにヨセフは砕かれる必要があり、そのための神による試みでした。神を信じる者の人生は、なるようにしかならない人生でもなければ、偶然の連続のような人生でもありません。すべてのことの背後には神の愛のご計画があるのです。それゆえ、「測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た」(詩篇16:6)と神の摂理を信じ受け入れ、試練を耐え忍びたいものです。
試みによって練り潔められたヨセフの後半生は、子や孫に囲まれて心穏やかに過ごす、実に幸福に満ちたものでした。ヨセフは死を前にして生涯を振り返り、神が苦難の中にあっても常に自分を覚え続け、度々訪ね、慰め励まして下さったことを感謝をもって思い起こしました。そして、自分の遺骨を約束の地カナンに携え上るよう兄弟たちに命じました(創世記50:22~26)。ヨセフにとってエジプトは寄留の地に過ぎないこと、約束の地、さらには「もっと良い、天にあるふるさと」こそ永住の地であることを認識していたからです。約400年後、「モーセはヨセフの遺骸を携えて」エジプトを脱出しました(出エジプト13:19)。ヨセフは、御言葉の約束のゆえに「望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認」していたのです(ヘブル11:1)。