記事一覧

ヘブル人への手紙11:17~22「信仰によって、ヤコブは」

2月25日、ヘブル人への手紙11:17~22「信仰によって、ヤコブは」
ヤコブは死を前にして「床のかしらで拝んだ…努めて床の上にすわった」。ヤコブは最後の力を振り絞るようにして神を礼拝し、子や孫を祝福しようとしました(創世記47:29~48:4)。そしてヤコブが息子ヨセフに真っ先に語ったのは、「ルズ」(=ベテル)で神と個人的に出会った体験でした(創世記48:3~4、28:13~15、35:9~12)。私たちも神を礼拝し、祝福を次世代に渡していくことにおいて、これほど真剣でしょうか。
ヨセフは二人の息子にヤコブから祝福を受けさせるため、長男マナセをヤコブの右手側に、次男エフライムを左手側に座らせましたが、ヤコブは右手を次男の頭に、左手を長男の頭にと、手を交差して置きました。その結果、長子の特権は次男のものとなりました。ヨセフは高齢のヤコブが間違えたものと思い、ヤコブの手を移し替えようとすると、「わかっている」とのヤコブの返事。ヤコブの肉眼はかすんでいても、霊眼は少しも衰えていませんでした。神の選びの不思議さを認め、神の御心に従順に従ったのです(創世記48:8~20)。
そしてヤコブは財産よりも何よりも、「生れてからきょうまでわたしを養われた神…すべての災からわたしをあがなわれ…共におられ」る神信仰を子や孫に遺しました。また、今いかに恵まれた生活をしていても、所詮エジプトは寄留の地に過ぎないこと、やがて約束の地イスラエルに戻ることを信仰の目をもって確かに見て信じ、子や孫に伝えました(創世記48:15~16、21~22)。これこそ親としての一大事業です。私たちも老いてますます輝く信仰者でありたいものです。