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詩篇65:1~13「恵みの冠の年」

12月31日、詩篇65:1~13「恵みの冠の年」
①祈りを聞かれる神(1~4節)
詩人はまず「祈を聞かれる方よ」と呼びかけますが、神をこう呼べる人は本当に幸いです。では、祈りが聞かれるという確信はどこからくるのか。それは罪の赦しの確かさからです。人が聖なる神の前に出る時に知るのは、「われらのとががわれらに打ち勝つ(新改訳「咎が私を圧倒しています」)」という自らの罪深さです。しかし罪の大きさに圧倒され、イエスの十字架を仰ぐならば、神との間を隔てる罪を赦し、「あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む」という神との親しい交わりを与え、「祈を聞かれる方よ」と真に呼び得る者として下さいます。
②救い出される神(5~8節)
詩人は続いて「われらの救の神よ」と呼びかけます。「大能を帯び、そのみ力によって」天地を創造され、出エジプトという「恐るべきわざ」をなさった神は、私たちの人生にも深い関心を寄せて導き続け、「もろもろの民の騒ぎを静め」、試練や困難から救い出して下さいます。
③実を結ばせる神(9~13節)
あたかも農夫が畑を見て回るように、神は「地に臨んで(訪れる、顧みる、の意)」、雨を降らせ、地を耕し、収穫を得させて下さいます。そして私たちも結実を期待される「神の畑」です(Ⅰコリント3:9)。神は私たちをも顧みて訪れ、神の「通られた跡」(11b節、新改訳)を随所に発見する恵みの冠の年として下さいます。「神の川は水で満ちている」、神の側の備えは十分です。御言葉と御霊によって心の畑を耕されましょう。