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マルコの福音書8:34「自分を捨て、十字架を負われたイエス」

2021年8月8日、マルコの福音書8:34「自分を捨て、十字架を負われたイエス」
「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と弟子たちや群衆に言われたイエスは、口先だけでなく、ご自身がまずこの言葉を実践されました。
最初の人アダムは「神のようになって善悪を知る者とな」りたいと考えて不従順の罪に陥りましたが(創世記3:5~6)、「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を」惜しみなく捨てて、「ご自分を空しくして」私たちと同じ人となられました。人から礼拝され仕えられるべきキリストなのに、「仕えられるためではなく仕えるために…来た」と言われたとおり(10:45)、徹底的に人に仕える「しもべの姿をと」られました(ヨハネ13:1~5)。罪を除いては完全に「人間と同じようになられ」、まさしく「人としての姿をもって現れ(フランシスコ会訳「その姿はまさしく人間であり」)、「すべての点で兄弟たちと同じようになら」れ、「自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです」(ヘブル2:17~18)。そして「自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました」。キリストは全人類の罪の身代わりとして十字架上で死なれましたが、神はキリストを復活させることにより、キリストを信じるだけですべての罪が赦される救いを完成されたのです(ピリピ2:6~8)。
キリストが莫大な犠牲を払われたのは、私たちを愛するがゆえです。「わたし(主)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」からです(イザヤ書43:4)。このキリストに「自分を捨て、自分の十字架を負って…従って」いくことは、大きな喜びであり光栄です。