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ルカの福音書23:50~24:7「墓にはおられない、よみがえられた」

2021年4月4日、ルカの福音書23:50~24:7「墓にはおられない、よみがえられた」
アリマタヤのヨセフは「ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出」、十字架から「イエスのからだを降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られていない、岩に掘った墓に納め」ました。死ぬはずのない永遠なる神の御子イエスが、本当に死なれたのです。
イエスを慕う女性たちは「明け方早く」、遺体に香料を塗ろうと墓に急ぎましたが、彼女たちの前には大問題がありました。墓の入口をふさぐ大石です。彼女たちはこの大石についてずっと話し合いながら墓まで来ましたが、それは全く不要な思い煩いでした。すでに「石が墓からわきに転がされていた」。イエスは復活されたのです。
墓の大石どころではない人類共通の最大の大石、それは罪と死の大石です。この大石を取り除くために罪の全くない神の御子イエスが来臨され、私たちの罪を背負って十字架につけられ、私たちに代わって神のさばきを一身に受けて死なれましたが、三日目に復活されました。十字架がなくては復活の意味はなく、復活がなくては十字架は完成しません(ローマ4:25)。空っぽの墓こそ、イエスが罪と死に勝利され、今も生きておられる救い主であること、ただイエスを信じるだけで罪赦されるという救いが完成されたことの証明なのです。
十字架と復活によって、神と私たちとを隔てる途方もない罪と死の大石を「転が」してくださったイエスは、私たちの人生に立ちはだかる大石をも同様に「転が」してくださるお方です。それゆえ困難の大石ばかり見つめて失望しないで、復活のイエスを仰ぎ見るなら(詩篇121:1~2)、すでに「石が…転がされていた」のを見ることでしょう。