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申命記32:10~14「瞳のように守られている私たち」

2021年1月31日、申命記32:10~14「瞳のように守られている私たち」
主がイスラエルをいかに保護されたか、2つの譬えで語ります。
①「目のひとみ」の譬え(10節)
荒野の40年間、イスラエルの側から神に助けを求めたというよりも、神の側からイスラエルを「見いだし…会い…巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られ」ました(ヨハネ15:16)。「目のひとみ」は絶えず保護されていて、直接触れることなどまずできません。ましてや誰が主の「目のひとみ」に触れることなどできましょうか。イスラエルは主によってそれほど常に瞬間瞬間、絶えず継続的に、確実に守られ保護されてきた、そしてこれからもそうだ、ということです。一羽のすずめさえも「神のみまえで忘れられてはいない」(ルカ12:6~7、マタイ10:29)ように、私たち一人ひとりも神に片時も忘れられることなく覚えられているだけでなく、絶えず「巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られ」ているとは、何と心丈夫なことでしょうか。
②「わし…ひな」の譬え(11~12節)
親「わし」は、「ひな」がいよいよ巣立つというとき、早く飛び立つように「その巣のひなを呼び起し」、突き飛ばして飛び立たせますが、放ったらかしにはせず、「その子の上に舞いかけ」、まだまだ飛ぶ力が弱くて落ちていくのを見ると、「その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負」って支えます。イスラエルに対する神の導きも、まさに親わしのようであったことをモーセは思い起こさせました。「『どんどん落ちていく』と感じるとき、主が鷲のように翼を広げて私たちを受け止め、安心させてくださいます」(デイリーブレッド)。