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ピリピ人への手紙2:6~8「クリスマスの心」

2020年12月20日、ピリピ人への手紙2:6~8「クリスマスの心」
最初の人アダムは「神のように善悪を知る者」になりたいと考えて不従順の罪に陥りましたが(創世記3:5~6)、「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを」惜しみなく捨て、「おのれをむなしうして」私たちと同じ人となられました。人から礼拝され仕えられるべきキリストですが、「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり」と言われたとおり(マルコ10:45)、人に仕える「僕のかたちをと」られました(ヨハネ13:1~5)。キリストは、罪の性質を除いては完全に「人間の姿になられ」、人間が味わうべき疲労や空腹、試練や苦悩を体験されました(ヨハネ4:6~7他)。このように「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができる」のです(ヘブル2:17~18)。以上より、「その有様は人と異ならず」、約束の救い主とはとても思えない存在でしたが、「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられ」ました。キリストは全人類の罪の身代わりとして十字架上で死なれましたが、神はキリストを復活させ、キリストを信じるだけですべての罪が赦される救いを完成されたのです。
人は皆、神から遠く離れて人生の意義も目的も見失い、滅びるべき存在ですが、キリストの十字架によって、本来私たちに降りかかるべき刑罰が、もはや信じる者には及ばなくなりました。私たちにとってはこの上なく「喜ばしい交換」(ルター)ですが、キリストはこの交換のために莫大な犠牲を払われました。それはひとえに私たちを愛するがゆえの降誕であり、想像を絶するへりくだりだったのです。