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マルコによる福音書16:1~8「空っぽの墓」

4月16日、マルコによる福音書16:1~8「空っぽの墓」
「安息日が終った」土曜の日没後、三人の女性は「イエスに塗るために、香料を買い求め」、夜明けが待ちきれないかのように「週の初めの日に、早朝、日の出のころ、墓に行」きました。私たちも毎週このような愛と熱意、飢え渇きをもって教会に集い、礼拝しているでしょうか。
墓に急ぐ彼女たちの前には大きな問題がありました。墓の入口をふさぐ大石です。彼女たちはこの大石についてうつむきながら話し合い続けて墓まで来ました。私たちの人生にも様々な困難の大石が立ちはだかりますが、人類共通の最大の大石、それは罪と死の大石です。イエスはこの大石を取り除くために来臨されたのです。「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と唯一言い得る罪の全くない神の御子イエスが、全人類の罪を背負って十字架につけられ、神のさばきを一身に受けて死なれました(15:33~41)。しかし三日目によみがえって、イエスを信じるだけで罪赦される救いの道を完成して下さいました。
罪と死の大石を十字架と復活によって「ころがして」下さったイエスは、人生に立ちはだかる困難の大石をも「ころがして」下さるお方です。困難ばかりを見つめてうつむかないで、イエスを仰ぎましょう。「石はすでにころがしてあった」のを見ることでしょう(詩篇121:1~2)。
「真白な長い衣を着た若者(=御使)」は、「弟子たちとペテロとの所へ行って…伝えなさい」と命じました。イエスを裏切り(14:66~72)、失意のどん底にある自分の名前をもう一度呼んで下さるイエスの愛に触れたペテロは、復活の命と力に満たされて再び立ち上がったのです。