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マルコによる福音書6:53~56「信仰の手を伸ばそう」

2020年8月23日、マルコによる福音書6:53~56「信仰の手を伸ばそう」
ゲネサレの人々はイエスの来訪を知るや否や、「その地方をあまねく駆けめぐり…病人たちを…運びはじめ…せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いし…さわった者は皆いやされ」ました。「力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった」(1~6節)郷里ナザレとは対照的です。信じようとも期待しようともしない不信仰の中では、さすがのイエスもその力を発揮することができませんでした。ゲネサレの人々の信仰は、幼稚でご利益信仰的であったかもしれませんが、イエスに対するひたむきな心で信仰の手を伸ばしました。その素朴な信仰にイエスも深いあわれみをもって答えられたのです。
罪や病気や死は初めからあったものではなく、最初の人アダムとエバの堕罪によって生じた不自然なものです(創世記 第3章)。イエスは、私たち人間をこれらから救い出すためにこの世に来られ、神のかたちに造られた人間がこれらで苦しむのを見て、深くあわれまれました。癒しのみわざは、御言葉を語ることと同様、イエスにとっては重要な働きの一つだったのです。それほどイエスは、「あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと」願っておられるのです(Ⅲヨハネ2)。
しかし問題はその後です。この世的な祝福だけで満足して、イエスのもとを離れ去るのか。それとも永遠に失われることのない霊的祝福を求めて、イエスを信じ、イエスの愛に応えて生きるのか。「今は恵みの時…今は救の日」(Ⅱコリント6:2)、「今」こそ信仰決断の時です。