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マルコによる福音書6:30~32「しばらく休みなさい」

2020年7月19日、マルコによる福音書6:30~32「しばらく休みなさい」
二人一組の伝道旅行結果(7~13節)を「残らずイエスに報告した」弟子たちは、「人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」と言われました。これまでずっと「出入りする人が多くて、食事をする暇もなかった」上、伝道旅行の緊張と不安、バプテスマのヨハネの死という悲しみが重なり、精神的にも肉体的にも疲れていたからです。
神も、天地創造の「すべての作業を終って第七日に休まれた」お方です(創世記1:31~2:2)。この神によって、神に似せて造られた私たち人間も、神のように休みを取る必要があります。そうすることによって、神と共に生きる恵みのリズムのようなものが生まれてくるのです。片手間でない神の祝福と聖別にあずかるために(創世記2:2~3)、イエスの十字架と復活を信じて罪の奴隷から救い出された恵みを覚えるために(申命記5:15)、主日ごとに教会に集って神を礼拝するのです。
「毎日の生活が卵の中のようにいっぱいつまっていたら、何も入れる余地はないし、神ですらそこに何も入れることができないでしょう。ですから、生活の中にすきまをつくることが大切になるんです」(ポール・トゥルニエ)。「静まって(新改訳2017「やめよ」)、わたしこそ神であることを知れ」。真に大切なものを「入れる余地」をつくるためには、何かをやめる必要があります。「時間がないから神の前で静思の時を持つことができないというのではなく、静思の時を持つことができないから時間に追われてしまうのだ」(大嶋重徳師)。多忙で騒がしい現代だからなおさら、少なくとも一日に一回は祈りの中で静まる時を持ち、週に一回は神を礼拝して静まる時を持つことが必要なのです。