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詩篇84:1~12「なんと幸いなことでしょう」

2020年5月3日、詩篇84:1~12「なんと幸いなことでしょう」
①主を恋い慕う幸い(1~4節)
詩人は、神殿に臨在される主を「わが魂…わが心…わが身」、全身全霊をもって「恋い慕って絶え入るばかりです」(新改訳2017)。神殿に巣を作る「すずめ…つばめ」、「あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる」レビ人を羨ましがりました。私たちを罪と滅びから救うために十字架上で死んでくださったイエスに片思いばかりさせてはいないでしょうか。「初めの愛から離れて」はいないでしょうか(黙示録2:4)。
②主を力とする幸い(5~9節)
ときに私たちは「バカの谷(新改訳2017「涙の谷」、新共同訳「嘆きの谷」)」を通されることがありますが、主を力としている人は、「われらの避け所また力…悩める時のいと近き助けである」(詩篇46:1)主のもとに逃げ込むことができます。そうすると「涙の谷」の真っ只中であっても、そこが「泉のある所」へと変わるのです。「神様から力をいただき、神様に従って歩むことを最優先したいと願う人は幸いです。そんな人には、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう」(リビングバイブル)。
③主と共にいる幸い(10~12節)
主の「大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさる」充実したものとなります。なぜなら、人生に立ちはだかる試練や困難の氷山を、主は「日(新改訳2017「太陽」)」のように溶かし、実を結ばせてくださるからです。また主は「盾」となって守り抜き(創世記15:1、ローマ8:31)、「恵みと誉」を与え続けてくださるからです(詩篇23:6)。「主の大庭の一日は、大庭の外で過ごした千日をやり直すことができる」(L.B.カウマン)。