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イザヤ書40:27~31「しかし主を待ち望む者は」

2020年4月19日、イザヤ書40:27~31「しかし主を待ち望む者は」
イスラエルは当時、大国バビロンの脅威の前に風前の灯のような状態にありました。そのようなときこそ出エジプト他の恵みを思い起こし、主に信頼すべきでしたが、「わが道は主に隠れている…わが訴えはわが神に顧みられない」と嘆いていました。厳しい現実にばかり目を向け、主がどのようなお方であるかを見失っていたからです。
この世のあらゆるものは絶えず移り変わっていきますが、主は絶対に変わらない「とこしえの神」です(ヘブル13:8)。主は御言葉をもって天地万物を創造された「地の果の創造者」であり、神から離れてひたすら滅びに向かっている罪人を神の子に造り変えてくださるお方です(Ⅱコリント5:17)。「下には永遠の腕がある」(申命記33:27)、私たちを支え続けても絶対に「弱ることなく、また疲れること」がないばかりか、「弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる」全能の神です。私たち一人ひとりのために最高の生涯設計をもっておられ(エレミヤ書29:11)、「その知恵ははかりがたい」全知の神です。
この永遠の神・創造の神・全能の神・全知の神を人生の味方とし、この神から力を得るために必要なことは、「主を待ち望む(忍耐強く待つ、信頼して休む、の意)」、自分の力だけを頼りにする生き方から、主の力を頼りにする生き方に方向転換することです。そうすると「新たなる力を得(力を入れ替える、の意)、わしのように翼をはって、のぼることができ」ます。人間の力には所詮限界がありますが、神の力には限界がありません。有限な人間の力だけを頼りに頑張ることをやめるとき、無限の神の力、新鮮な信仰の活力が常に注がれるようになるのです。