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マタイによる福音書13:44~46「神の国の絶大な価値」

1月27日、マタイによる福音書13:44~46「神の国の絶大な価値」
①神の国(神の恵みによる支配、の意。ここでは「救い」とほぼ同義)の発見
農夫は畑で作業中に偶然宝を掘り当て、商人は良い真珠を長年捜し求めた末やっと見つけました。人は各々違った道を通って神の国を発見することを暗示しています。前者の代表例・マタイは、収税所で働いていると、予期せずイエスに出会いました(マタイ9:9)。後者の代表例・パウロは、律法による義を長年求めていましたが、復活のイエスに出会い、信仰による義を得ました(使徒9:1~19)。神の国は、自然(詩篇19:1)と歴史、聖書とイエスを通して啓示しておられますから、「熱心に追い求めて捜しさえすれば…神を見いだせる」のです(使徒17:27)。
②神の国の獲得
農夫も商人も「行って持ち物をみな売りはらい」、見つけたものを獲得しました。神の国は、全財産をはたいてでも獲得したくなる、否、是非とも獲得すべき絶大な価値を持つものだということです。エリート中のエリートであるパウロには、誇りとするものが人一倍ありましたが、「主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに…ふん土のように思」うに至りました(ピリピ3:4~8)。「行って持ち物をみな売りはらい」の直前に「喜びのあまり」とあります。神の国を獲得するのは、犠牲ではなく「喜びのあまり」することです。「私は決して犠牲を払ったのではありません。天にある神の栄光の御座を捨てて、ご自身を私たちのために与えて下さった主の大きな犠牲を思い起こすならば、私の払った犠牲など語るべきではありません」(リビングストン)。