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マルコによる福音書3:31~35「血は水よりも濃し、霊は血よりも濃し」

2019年9月29日、マルコによる福音書3:31~35「血は水よりも濃し、霊は血よりも濃し」
イエスの噂を聞きつけて母と兄弟たちが訪ねて来ると、イエスは「弟子たちの方に手をさし伸べて」(マタイ12:49)、「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」と言われました。イエスを信じて「神のみこころを行う者はだれでも」神の家族だ、ということです。
そう言われたイエスご自身、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイ6:10)と祈るよう教えられました。ゲツセマネの園では「どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(14:36)と神と格闘の末、御心に従って十字架上で死なれました。
「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(Ⅰテモテ2:4)。イエスを信じて救われることこそ、神が何よりも「望んでおられる」ことで、「わたしの兄弟、また姉妹」という神の家族とされる出発点です。それは、悔い改めと信仰によって「だれでも」得られる恵みです。その上で神を愛し人を愛して生きていくのですが(12:30~31)、たとえば私たちが「清くなること」は「神のみこころ」です(Ⅰテサロニケ4:3)。「今日もイエスが一緒に行ってくださらないような所に行くことがありませんように。イエスに覗かれて困るようなことを心に描きませんように」(ベイリー)。「いつも喜んで…絶えず祈り…すべての事について、感謝」するのは、「神があなたがたに求めておられること」です(Ⅰテサロニケ5:16~18)。あなたの今の歩みは、十字架の血によって神の家族とされた者にふさわしい歩みでしょうか。