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マルコによる福音書1:35~39「朝早く寂しい所で」

2019年5月26日、マルコによる福音書1:35~39「朝早く寂しい所で」
神であると同時に人間であったイエスは、私たちと同様、弱さを覚えられましたし(ヨハネ4:6)、説教や癒しや悪霊追放のときには全精力を注いでおられたことでしょう(5:29~30)。そのように朝から晩まで休む暇なく働かれたイエスがお疲れにならなかったはずはありませんが、「朝はやく、夜の明けるよほど前に…起きて…祈っておられた」。
なぜそうされたのでしょうか。第一に、父なる神と交わるためでした。イエスは毎朝の祈りの中で、今日も神の愛と真実に支えられていることを感謝して一日を始められたのでしょう。「朝、神の前に静まって、神の愛が自分の心に注ぎ込まれ、満ち満ちてくるのを感ずるまでは、決してその場から立ち上がってはならない」(F.B.マイヤー)。
第二に、神から新しい力を得るためでした(イザヤ書40:31、ピリピ4:13)。イエスは毎朝の祈りの中で疲れを癒され、新たな力を注がれていたからこそ、激務に戻って行くことができたのでしょう。「神を離れては、どんなに些細な試練でも私たちの手に負えなくなる」(F.B.マイヤー)。
第三に、自分の使命を確認するためでした。本書には、イエスの祈りの場面が計3回記されています(1:35、6:46、14:32~42)。いずれも十字架抜きの救いへと誘う危機的な状況でした。だからこそ祈りの中で、「教を宣べ伝え」るため、十字架と復活による救いを完成するために来臨したことを再確認し、使命に堅く立つ必要があったのです。
「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」(ウエストミンスター小教理問答 第1問)。私たちも毎朝、このことのために今日も生かされていることを感謝し、一日をスタートしましょう。