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ルカによる福音書22:54~62「イエスのまなざし」

2019年4月14日、ルカによる福音書22:54~62「イエスのまなざし」
ゲツセマネの園に行く前、イエスが「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう」(マルコ14:27)と言われると、ペテロは「わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」と言い、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と予告されていました(22:33~34)。園で捕縛されたイエスを心配して「ペテロは遠くからついて行った」のですが、それが限界でした。イエスの仲間ではないかと指摘されるたびに否認を重ねて三回目、「たちまち、鶏が鳴いた…主は振りむいてペテロを見つめられた…そして外へ出て、激しく泣いた」。なぜ「激しく泣いた」のでしょうか。
取り返しのつかない大失敗をも包み込んで赦す愛のまなざしに触れて、ペテロは号泣したのでしょう(新聖歌221番)。ペテロ同様イエスを裏切ったユダは、自分の行為をただ後悔しただけで悔い改めることなく、「首をつって死んだ」(マタイ27:5)。しかしペテロは、自分の弱さを正直に認めて悔い改め、再び使命を授けられました(ヨハネ21:16)。「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる」(Ⅱコリント7:10)。四福音書すべてがペテロの大失敗を包み隠さず記しているのは、イエスを信じる人生はいつでもやり直し可能であること、イエスの愛と赦しととりなしによって何度でも立ち上がり得ることを私たちに強調したいからでしょう。「私たちが、神の前に自らの罪の責めを感じ、身を低くして立ち帰ってくるとき、そこには怒りの御顔があると思ったのに、意外にも、そこには赦しの御顔があるのです」(ジョン・バニヤン)。