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出エジプト記33:12~16「わたし自身が一緒に行く」

2019年3月31日、出エジプト記33:12~16「わたし自身が一緒に行く」
モーセが「四十日四十夜、(シナイ)山にい」て十戒を授与されている間、不安になった民は偶像を造り、偶像に頼って約束の地を目指そうとしました(31:18~32:1)。下山して目を疑うような光景を見たモーセは、民の罪の赦しと主の臨在の同行を切願しました(32:11~14、30~34)。そうして与えられた御言葉が、「わたし自身(新改訳2017「わたしの臨在」)が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」です。
「わたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」(ヨハネ15:4)が、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」(ピリピ4:13)、「宙ぶらりんではなく、神ぶらりん」(向後昇太郎師)なのがキリスト者です。「どんな問題も、問題そのものが問題でなく、それをどう見るか、それとどう関わるか、あるいはその問題をどう捉えるか、それが問題なのです。この世には、本来問題というものはありません。あるのは問題との取り組み方だけです」(ある牧師)。人間の手に負えないことはあっても、神の手に負えないことなど一つもありません。それなのに自分の力を頼りに下手に頑張るから、かえって事態が紛糾し、時間と労力を浪費することになるのです。神の出番を横取りするから、神の全能の力を体験する絶好の機会を逃すことになるのです。臨在の主に対する信仰を働かせるよりも常識を働かせ、主に頼るよりも人に頼っていないでしょうか。閉塞感漂う時代だからこそ、「やめよ。知れ。わたしこそ神」(詩篇46:10、新改訳2017)、「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」と言われる主にひたすら信頼して歩みましょう。