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マルコによる福音書1:14~15「時は満ちた」

2019年2月17日、マルコによる福音書1:14~15「時は満ちた」
ヘロデ王によってバプテスマの「ヨハネが捕えられた後」(6:14~29)、遂にイエスによる新しい時代が始まりました。14・15節は、イエスの働き・説教の総括です。「時(ちょうどよい時、の意)は満ちた」とは、最初の人アダム堕罪時から計画され(創世記3:15)、度々預言されてきた神の救いは、それを待ち望む期間が終わり、イエスによってちょうどよい時に実現した、ということです。パウロは「時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった」(ガラテヤ4:4)と表現しました。さらにイエスご自身にとっても準備の「時は満ちた」と言えるでしょう。公生涯に立ち上がられるまでの30年間、家計を支えるために大工として朝から晩まで働かれる中で、生きる苦しみや悩みをまざまざと味わわれたイエスにとって(ヘブル2:18、4:15)、私たち罪人に寄り添い、罪や苦しみを引き受ける救い主となるために必要不可欠な準備の「時は満ちた」と言えましょう。
「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」(哀歌3:22)、「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない」(ルカ21:33)。神の愛も御言葉も永遠に変わらないばかりか、「わが口から出る言葉(事件、出来事、の意)も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す」(イザヤ書55:11)。神の「言葉」は、私たちの不信仰を突き破って、時が来れば必ず「出来事」になります。絶望と思えるような状況下でも希望が与えられ、道が開かれるのです。聖書はそうした実例で満ちています。神の時はまさにちょうどよい時なのです。