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マルコによる福音書1:9~11「あなたはわたしの愛する子」

2019年1月20日、マルコによる福音書1:9~11「あなたはわたしの愛する子」
イエスが「宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時で」(ルカ3:23)、その前に「ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けにな」りました。なぜ罪のない神の御子イエスが「罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマ」(4節)を受けられたのでしょうか。それは罪人の私たちと同じ立場に立って連帯責任を負うためでした(ヘブル4:15、2:17)。
イエスがバプテスマを受けて「水の中から上がられると」、三つのことが伴いました。「天が裂けて(イエスによって神の国が開かれた)」、「聖霊がはとのように…下って来(イエスに聖霊の力が注がれた。イザヤ書61:1~3)」、「天から声があった(イエスが神ご自身によって証言された)」。「あなたはわたしの愛する子」とは、イエスは神の御子、王なるメシヤだということ(詩篇2:7)、「わたしの心にかなう者である(新改訳「わたしはあなたを喜ぶ」)」とは、イエスは人の罪を背負う受難の僕だということです(イザヤ書42:1)。王なるメシヤでありながら、僕として苦難を受けるという相矛盾する二つが、イエスにおいて成就するということです。
「天から声があった」のは、イエスが救い主としてまだ何もしておられなかったときのことで、神は、何かをしたからではなく、イエスの存在そのものを喜ばれたのです。イエスが救い主として使命を果たせたのは、この無条件の愛に支えられていたからでもあります。他人がどう言おうと「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ書43:4)、神は私を受け入れ喜んでいて下さいます。「自己受容とは、自分の弱さや欠点を直視し、弱くて欠点だらけの自分を、それでもかけがえのない自分として受け入れるということです」(片柳弘史師)。