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エズラ記8:24~36「神の御手に守られた旅路」

2018年8月19日、エズラ記8:24~36「神の御手に守られた旅路」
エズラ一行が断食して道中の無事を「神に願い求めたところ、神はその願いを聞きいれられた」(21~23節)とは言うものの、まだ一歩も前進していません。「神はその願いを聞きいれられた」との確信が与えられ、平安に満たされて出発することができたということです。そのようにして出発したエズラ一行は、断食して祈ったので神に守られ、何事もなく平穏無事であったということではなかったでしょう。約4か月の長旅の間(7:9)、様々な危険や困難に出くわしたはずです。しかしご真実な神が彼らの信頼と祈りに答えて、「敵の手および道に待ち伏せする者の手から…救われた」ので、無事帰国できたのです。
アブラハムは「望み得ないのに、なおも望みつつ信じ」(ローマ4:18)、高齢夫婦の間に約束の子イサクが誕生しました(創世記第17~21章)。契約の箱をかく祭司たちが濁流渦巻くヨルダン川に足を一歩踏み入れたその瞬間、水はせき止められて乾いた地を渡ることができるという約束を信じて従ったところ、そのとおりになりました(ヨシュア記 第3章)。いくら御言葉の約束を得ても、前進しようとせず、ただ待っているだけでは、約束はいつまで経っても絵に描いた餅に過ぎません。「信仰は冒険である」と言います。御言葉の約束を信じて一歩踏み出すならば、必ず御言葉の約束どおりになっていきます(イザヤ書55:11)。
「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さる」(Ⅰコリント10:13)。ご真実な神は、私たちが試練の中で意気消沈したり絶望したりしないよう、「それ(試練)に耐え」忍ぶ力を「備えて下さ」います。エズラ一行がまさにそうでした。