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ヨハネによる福音書4:1~26「渇くことのない人生」

10月28日、ヨハネによる福音書4:1~26「渇くことのない人生」
「イエスは旅の疲れを覚えて…井戸のそばにすわっておられ」ると、「昼の十二時ごろ…ひとりのサマリヤの女が水をくみにきた」(6~7節)。日中非常に暑い中東では、水汲みは朝か夕方に行うのが普通でしたが、彼女はあえてその時間帯に水を汲みに来ました。それは、夫を次々と五人も取り替え、今また別の男性と同棲するという乱れた生活を送っていたからです(18節)。「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど喉が渇く」(ショーペンハウエル)。「人の心には、神によってでなければ絶対に満たされない空洞がある」(パスカル)。心の空洞を真の神以外のもので満たそうとするから渇くのです。彼女の渇きを見抜いておられたイエスは、空洞を満たすことができるのは、「わたしが与える水を飲む者」だけであることを示されました(13~14節)。
彼女が「その水をわたしに下さい」と願うと、イエスは「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」と言われました(15~17節)。渇きの根本原因は神を無視した罪にあるからです。「あなたと話をしているこのわたしが、それ(=キリスト)である」と言われるイエスの前に罪を悔い改め、救い主と信じた彼女の人生は一変し、人々にイエスのことを宣べ伝えずにはおれませんでした(25~26、28~30、39~42節)。
私たちの人生には、時に様々な試練や困難が押し寄せ、涙に明け暮れることがありますが、「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」(詩篇84:6、新改訳)。イエスの十字架を信じて心に泉を持つようになれば、逆境の中でも希望の泉が湧き上がるのです。