記事一覧

ヨハネの第一の手紙3:14~18「十字架の愛に応えて」

2018年4月15日、ヨハネの第一の手紙3:14~18「十字架の愛に応えて」
イエスは「兄弟に対して怒る者(新改訳「腹を立てる者」)…愚か者(新改訳「能なし」)…ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれる」と言われ(マタイ5:22)、ヨハネは「すべて兄弟を憎む者は人殺しであり」と記します。心の中で抱く怒り・憎悪・敵意・悪口・軽蔑・罵り等も、殺人と本質的に同じです。あなたはこれまで何人の人を心の中で、また言葉で殺してきたでしょうか。「わたしたちがまだ弱かったころ…まだ罪人であった時…敵であった時」(ローマ5:6、8、10)、私たちの側には神の恵みを受け得る良いものなど何一つないのに、私たちを永遠の滅びから救うべく「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった」のです。
十字架によって「愛ということを知った」者は、「兄弟(複数形)のためにいのちを捨てる」ほど愛するはずですが、「いのちを捨てる」ことは普段そうそう要求されることではありません。しかし「兄弟(単数形)が困っているのを見」ることは日常茶飯事です。そのとき「あわれみの心を閉じる者」、見て見ぬふりをして助けようとしない者が、いざというとき、どうして「兄弟のためにいのちを捨てる」ことができるでしょうか。「愛しています。祈っています」と、「言葉や口先」で言うだけで何もしないのは偽善です。「愛」は、単なる言葉遊びや概念であっては無意味です。具体的な行動を伴ってこその「愛」です。「年をとれば、きみは二本の手を持っていることに気づくだろう。自分自身を助ける手と、他人を助ける手と」(オードリー・ヘプバーンが死の間際、息子たちに読み聞かせた詩)。十字架の愛に応えて、あなたはどう生きるべきでしょうか。「他人を助ける手」をどう使うべきでしょうか。祈る「手」、「世の富」を献げる「手」、身近な人々を気にかけ配慮する「手」でしょうか。