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エズラ記3:8~13「喜ぶ声と泣く声と」


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2018年3月18日、エズラ記3:8~13「喜ぶ声と泣く声と」
帰還した民は「七月(太陽暦の9~10月)に…祭壇を築」き、半年後の「二月(4~5月)に…工事を始め…主の宮の基礎をすえ」ました。そのとき、「喜びのために声をあげて叫ぶ者も多かった」半面、「大声をあげて泣いた」者もいました。「もとの宮を見た老人たち」です。栄光に輝くソロモン神殿と、これから建て上げる神殿とを比較して泣いたのです。しかしそうなったのは、他でもない自分たちの罪のためであることを悟り、過去の罪を嘆き悔いる心から出た涙でもありました。と同時に、そんな者であるにもかかわらず、70年間の捕囚の中にも帰還の旅の中にも、神の助けと守りが随所にあったこと、神は約束の御言葉どおり祖国帰還を実現させて下さったこと、それは神殿奉献時のソロモンの祈り(列王紀上9:46~50)の成就でもあったことを発見しました。すべては「主はめぐみ深く、そのいつくしみはとこしえに…絶えることがない」ゆえであることを思い起こし、感激する心から出た涙でもありました。一方の「喜びのために声をあげて叫ぶ者」は、辛く苦しい過去にではなく、明るい未来に目を向ける心から出た喜びの叫びでした。事実、神は「主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きい…わたしはこの所に繁栄を与える」(ハガイ書2:9)と言われました。
どんなに後悔しても過去は変えられませんが、過去の失敗から教訓を学び、現在と未来を変える力にすることはできます。過去は人生を力強く前進させる「帆」にもなり得ますし、いつまでも過去に縛り付ける「錨」にもなり得ます。要はあなたの決断次第です。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」(Ⅱコリント5:17)。いつからでもやり直し可能なのがキリストにある人生です。