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エズラ記2:59~70「血統の証明」

2018年2月25日、エズラ記2:59~70「血統の証明」
帰還民の中に、先祖の系図を紛失したためか、「その氏族とその血統とを示」すことができず、sanndaru激安「祭司の職から除かれた」人がいました。
私たちが神の民であることを証明するものは、「血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れた」(ヨハネ1:13)という事実です。キリストは「すべての人を照らすまことの光」として来臨されました。「光」の働きの第一は、心の闇、罪深さを照らし出すことです(エペソ5:13)。第二は、闇を一掃することです。キリストは、全人類の罪を背負って十字架につけられ、身代わりの死を遂げることによって救いを完成されました。このキリストを「受けいれ…信じ」るなら、闇の根源であるすべての罪が赦され、「神の子」とされ、神の家族の一員として迎え入れられます。「血すじ」を誇ることなどできない異邦人の私たちが、今や「ただ神によって生れ」、supreme 激安神の血筋につながる者とされているとは、何と驚くべき恵みでしょうか。「実に、恵みにより、信仰による…神の賜物」です(エペソ2:8)。
こうした恵みにあずかったのは、「それぞれ生ける石となって、霊の家(教会)に築き上げられ」るためです(Ⅰペテロ2:5)。祭司の性質は、「聖なる(区別された、の意)」ということ、何でもありの世の中で神を畏れ、御言葉に従って歩むということです。祭司の働きは、自分自身を「神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげ」ることであり(Ⅰペテロ2:5、ローマ12:1)、「暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを…語り伝える」ことです(Ⅰペテロ2:9)。今日という大切な一日を漫然と過ごしたり世の風潮に流されたりしないよう、神の民として生かされている意味と目的をしっかり自覚したいものです。