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ローマ人への手紙8:18~25「共にうめき、共に苦しみ」

2018年1月14日、ローマ人への手紙8:18~25「共にうめき、共に苦しみ」
最初の人アダムの堕罪により、全人類に罪が入り込んで死ぬべき存在となっただけでなく(5:12)、「地は…いばらとあざみとを生じ」(創世記3:18)、天地創造当初の栄光を失い、「虚無に服し」ました。それは、「自分の意思によるのではなく」人間の罪のためであり、「服従させたかた(神)」によるさばきの結果です。被造物は罪に汚染されてから「今に至るまで」、「実に、切なる思いで神の子たちの出現」、すなわちキリスト者が神の子として完全な栄光を受ける日、「滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る」キリスト再臨の日を待ち望みながら、「共にうめき共に産みの苦しみを続けている」のです。
うめいているのは自然界だけではありません。私たち人間もうめいています。現在の肉体は疲れや弱さを覚えたり、病気をしたり、罪を犯したりする不完全な肉体ですが、再臨後には「子たる身分を授けられる…からだのあがなわれる」、すなわちキリストと同じ栄光のからだに変えられ、天国で永遠に神と共に生きます。「御霊の最初の実(新改訳「御霊の初穂」)を持っている」私たちは、この救いの完成を「心の内でうめきながら…待ち望んでいる」のです。初穂を収穫したということは、それに続く豊かな収穫があることを示しているように、キリストを信じて内に御霊を宿したということは、やがて完全な救いが実現するということの保証なのです(エペソ1:14、Ⅰコリント15:20)。 「今のこの時の苦しみ」は、「やがてわたしたちに現されようとする栄光」と比べるなら「言うに足りない(新改訳「取るに足りない」)」のですから、「今のこの時の苦しみ」に押しつぶされそうになっているなら、十字架を仰ぎ、「やがて…現されようとする栄光」に目を注ぎましょう。