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コリント人への第二の手紙5:16~21「見よ、すべてが新しく」

2018年1月7日、コリント人への第二の手紙5:16~21「見よ、すべてが新しく」
本書の著者パウロは以前、律法を守り行うことによって神に義と認められようと考え、「かつてはキリストを肉によって(新改訳「人間的な標準で」)知っていた」だけでした。イエスは罪の全くない神の御子でありながら、全人類の罪を背負って十字架につけられ、神にさばかれて死なれたこと、しかし三日目に復活されたこと、このイエスこそ約束の救い主で、イエスを信じるだけで義と認められることを宣ベ伝えるイエスの弟子たちに我慢ならず、教会を迫害していました。
そんなパウロがダマスコにある教会を迫害しようと道を急いでいると、突然天からの光に打ちのめされ、復活のキリストに出会いました。「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」ことに目が開かれ、罪を悔い改めてイエスを信じたパウロは、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」という救いを明確に体験し、キリストの弟子となったのです(使徒9:1~22)。
これはパウロだけのことではありません。「だれでもキリストにあるならば」、「だれでもキリストに」信頼しさえするならば、部分的な修理や補修、改造などではなく、全面的な新創造、全く新しく造り変えられるのです。「まず心の一新が必要です。新年に一新すべきはカレンダーや手帳ばかりではなく、まさに『心の一新』です。どんなに外側を変えてみても、中身が変わらなければ真の新年とはなりません」(吉持章師)。いつからでもやり直し可能なのがキリストにある人生です。そしてそのような人生には手後れなど絶対にないのです。