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ヨハネによる福音書5:1~9a「良くなりたいか」

2016年5月1日、ヨハネによる福音書5:1~9a「良くなりたいか」
「三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人」は、治りたい一心からベテスダの池に行き、藁をもつかむ思いで水が動くのを待っていました。しかし病人同士の戦いにも敗れ続け、希望は日ごとにしぼみ、逆に失望と諦めは日ごとに増し、気がつくと38年が経過していました。イエスから「なおりたいのか」と問いかけられても、「わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」と不平不満、妬みを口にしました。歳月とともに治りたいという意欲がいつしか薄れ、ただマンネリで水の動くのを待っているだけという無気力な日々を送っていたのです。
私たちも「もっと良くなりたい。もっと良い人生を送りたい」と願いながら、すぐその後に「でも、どうせ」という否定的な言葉が続いたり、願うだけで真剣に祈って努力しなかったり、信仰を働かせるよりも常識や経験を働かせたりしてはいないでしょうか。そして、「私はとても飛び込めない。自分の人生など所詮こんなもの」と諦め、良くなりたいという願望を捨ててしまいがちではないでしょうか。
「なおりたいのか」との言葉により、心の片隅で眠っていた願望を呼び覚まされた病人は、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と命じられるや否や、もはや否定的な返答をせず、信じて起き上がったところ即刻癒され、ベテスダの池から解放されました。
環境が変わるのを待っているだけでは何も始まりません。人生を縛り付けている最大の「床」は罪です。その罪や不信仰、劣等感、プライド等、私たちの人生を縛り付けている「床」を捨てて、「なおりたい」とイエスを見上げて立ち上がるとき、人生の変革が始まるのです。